せっかくスピリチュアルをやっているんだから、今こそ「導かれること」を体感する時だ

年末に環境が変わった時に「焦らずに流れが来るのを待とう」と信じた。

せっかくスピリチュアルをやっているんだから、今こそ「導かれること」を体感する時だ、と。

絶対に大丈夫、何とかなる。

その代わり、導かれた先では手を抜かずに、自分がやれることを全力でやろう。

例え、どんなに望んでいないシチュエーションだったとしても…例えば、目の前のお客さんが一人だったとしても、一生懸命やろう。

そうやって、1月、2月と演奏活動をしていった先に、昨日は新世界・通天閣近くのライブハウス【L7】のステージに初めて立たせて頂いた。

年末にはご縁のなかった場所に、今、こうして立たせてもらっている。道が開いた。

このあと、一ヶ月挟んで、5月に2回、ライブに出演させてもらうことにもなった。

この【L7】はcross culture records という音楽事務所が運営していて、その事務所に所属している【美空ちゃん】が5/10、そして【武山直幸さん】が5/21に自主企画を行う。

そのイベントに声をかけてもらった。

その2つのイベントを今度はやり切りたい。その先はどうなるかわからないけど、目の前の一歩を全力で取り組めば、更に道は繋がっていく、と信じている。

今日は今から富田林のとあるお寺を訪問する。これもご縁があって、導かれた。住職さんとどんなお話が出来るのかワクワクしている。

自分に出来ることを一生懸命やります。

出会いを求めて新しい扉を開ける段階は終わった

朝起きると、一通のLINEが届いていた。

その文章を読んで、ぼくは身体の奥底から力が湧き上がってくる感覚を覚えた。そこには色々な想いが含まれている。

一旦、ゼロになり、殆どのものを失った。

それでも立ち上がり、勇気を出して未知の扉を開き、新しい環境で挑んだ。その挑戦が少しずつ実を結んできている、という幸福感…

プロデューサーの諸見里耕一さんからLINEが届いた。そこにはこうさんの「人間」に満ち満ちた想いがエネルギーとして乗っている。

ぼくはこうさんに機会を頂いて、3月11日にテレビカメラの前で弾き語りの演奏の収録をさせてもらった。

その様子をドキュメンタリーに仕上げていて、公開するまで、あとはこうさんのオッケー待ちだったのだ。

こうさんの文章を共有したい。

お世話になります。
大変遅くなりました。

すばらしくリアルで、小さな振動まで入ってるかのようなカメラワークと心のひだを感じる作り方で息をのむようなところが随所にありました。

僕が自身に思ったのは、とても人様の前で威張れるような人間ではなく、やはり今も懸命にもがきながら「挑戦」しているままの人間で、こんな綺麗に映されてて恐縮やら申し訳ないやらで「こんな自分の作った場所」でいいのかな?と少し悩んでしまいました・・・。

なんでしょう、とても緊張感のある映像でリアルで綺麗な画で素敵なものを感じました。

今日は、初回のMA(※ Multi Audio テレビからは様々な音が流れていて、その音を完成させる作業)がありました。参考に一度明日明後日に送りますね。

手作りで予算もないままで懸命に作ってる今時だと時代錯誤な変な番組なんです。

いろいろ大事なものを思い出させて頂きました。

歌いいですね・・・。あのステージの描写は一緒に作られている3名のみなさん(※ 撮影のまゆみちゃん&マネージャーのにこちゃん)の気持ちが現れてて綺麗で繊細でした。

何卒、配信宜しくお願いします。

この文章を読んで、本当に嬉しい気持ちになった。

ぼくの芸術表現を、自分以外の誰かがこんなにも繊細に受け取ってくれた、ということ。

そして、近所のライブバーに飛び込んだオープンマイクから、音楽事務所の代表の心を動かす、という奇跡を味わっている、ということ。

やはり、確信した。

今、どんな状態だろうと、ゼロだろうと、立ち上がり、自分に出来る目の前の一歩を全力でやり切ること。

すると必ず次に繋がる。

もう出会いを求めて新しい扉を開ける段階は終わった。

これからはこんなぼくと出会ってくれた方と、しっかりと信頼関係を築き、一つ一つの仕事を真剣勝負でやり抜き、自分の持つ全てのエネルギーをそこに投下する段階だ。

治療家として新生・橋爪大輔を生まれ変わらせてくれた整体師の赤座俊一先生。ぼくの美意識を繊細に受け取ってくれた音楽プロデューサーの諸見里耕一さん。

そして、ぼくに活躍のフィールドを与えてくれた元石清水八幡宮の作啓造宮司。ぼくはこの三人に、自分の持てる全てのエネルギーを発揮していくと決めた。大阪の橋爪事務所、通天閣のビリケン、奈良の元石清水八幡宮がぼくの職場だ。

無理に付き合う人脈を増やすのではなく、何もない頃に一緒に歩んでくれた方と仕事をしていく。

環境は揃った。関わる方々も決まった。あとはもう、わき目もふらず、一日一日を全力で過ごすこと、一つ一つの仕事を全力でやり切るのみだ。

やるぞ。

目の前の一歩をやり切ったら、テレビ大阪の番組収録に繋がった!

年末に吉本の劇場に行った。

次々と繰り広げられるコントや漫才に笑いながら、同時に「それに比べて自分は一体、何をしているのだろう」と思うと、途端に笑えなくなった。

芸人さんは昨日も今日も明日も、舞台に立ってネタを磨いている。一方、弾き語りで表現していこうとしているぼくは、客席に座って呑気に笑っている場合ではないのだ。

そんな想いに駆られたので、新しい環境に自ら飛び込もうと思った。

Googleで検索すると、自分の住む大阪の桃谷駅近くで「オープンマイク」が出来るライブバー(SAVESOUNDS)を見つけた。

オープンマイクとは、1500円とか2000円を支払えば、ライブハウスなどで誰でも舞台に立ち、演奏が出来るシステムのことだ。

お店の扉を開ける時は、むちゃくちゃドキドキした。

誰も知らない環境に飛び込む、ってこんなにドキドキするんだなあ、と思ったし、同時に「今までぼくのライブやイベントに独りで来てくれた方はこうやってドキドキしながら扉を開いてくれていたのかな」と思うと、感謝の気持ちが溢れた。

ちなみに「SAVESOUNDSに行こう」と決めた理由は、オーナーの名前が「加瀬だいすけ」さんで、ぼくと同じ名前だったこと。

また、だいすけさんがツイートで「お客さんを集められなくて悔しい」という気持ちを吐露していて、素敵な人だな、と思ったからだ。

・・・SaveSoundsで演奏した後は、どうなるかわからない。でも、目の前の一歩を全力でやりきれば、神様は次のステージを用意してくれるに違いない。

そんな想いでオープンマイクをやり切ると、そこにいた「マナブさん」というお客さんと話が出来て、通天閣のお店(BILLIKEN358)を紹介してくれた。

紹介された、ということはそこに一筋の光が見えた、ということだ。じゃあ、次はBILLIKENで全力を出そう。

すぐにBILLIKENの店長「シーナツカサ」さんとやりとりをして、翌年の2023年1月24日に出演が決定。20分のステージを披露した。

ぼくにとって、一度目のビリケンチャレンジだった。

すると、その様子を、BILLIKENを運営する音楽事務所のCEO、諸見里耕一さんが観てくれて、ツイッターでぼくのことを「素晴らしいアーティスト」と評してくれた。これには感動した。

そして、昨日。

BILLIKENで二度目のステージに立った。目的は諸見里さんの前で演奏がしたかったからだ。ぼくにとって二度目のビリケンチャレンジだった。

結果、諸見里さんからお誘いを頂き、急遽、三日後に行われるテレビ大阪の番組収録に出演出来ることが決まった。ぼくはそこで、ワンコーラスから一曲程度、歌を披露できるみたいだ。

また次に繋がった!

あとは収録に向けて、自分の演奏を磨き続けるのみだ。

オリジナル曲「魔法」をもう一度、一から磨き上げる。ギター伴奏を見直し、ボーカルを見直す。これを三日間、ひたすら練習しよう。

そして、当日は一曲入魂でカメラの前で演奏しよう。

年末のオープンマイクから、今、ここまでやってきた。この後、どうなっていくかはわからない。

でも、目の前の一歩、番組収録に全エネルギーを注ごう。その為に、練習に励むのみだ。

春の芽吹と共に、2023年が動き出した

年末に環境が変わり、仕事もなくなった。

「さあ、これから自分の人生、どうなっていくのだろう」と実験していたが、やはり、流れというものはいつかはやってくるんだな、と感じている。

ぼくのYouTubeで「お客さんが集まらなくて悔しかった」という動画を観た整体師の赤座俊一先生が繋がってくれたので、新大阪のサロンまで伺いに行ったのが2月25日。

数えてみたら、なんとわずか10日前のことだ。

赤座先生の施術を受けて、身も心も元気になったぼくは、その様子を「2ヶ月間、暇していたぼくに流れがきました!」&「波動エネルギーで整体をしてもらった結果…」というタイトルで2本連続で公開した。

それが4日前のこと。

そして「橋爪事務所で赤座先生の整体の体験会をやろう」というアイデアが立ち上がった。実現化する為に、昨日、告知ページを作成。すると、一晩が経ち、ありがたいことに4人の方々からご予約があった。今のぼくでも0から1を生み出すことが出来たのだ。

2023年、プロデューサーとして、初めて仕事をすることが出来た。こんな嬉しいことはない。

ぼくが行った実務は以下の通り。

(1) 赤座先生のサロンを訪問して、インタビュー&施術の様子を動画に収録し、編集してYouTubeに公開する

(2)告知ページに使用するサムネイル画像を、16:9と正方形(Instagram用)の2種類をデザイン

(3) noteというプラットフォームで赤座先生の整体体験の告知ページを作成(文章執筆)し、Twitter、Facebook、Instagram、YouTubeでそれぞれ発信

収録&動画編集して、ライティングして、デザインをして、告知ページを作って発信して人を集める、という作業を約10日でやったことになる。

自分の技術やセンスをフル稼働してエネルギーを籠めた。でも、流れにのって軽やかな速度でサクサクっと仕事が出来たことに、今、喜びを感じている。赤座先生、そして、サポートしてくれているスタッフのおかげだ。

プロデューサーとして、こんな感じで色々な企画を立て、実現していきたいし、プレイヤーとしても、人前にどんどん立ち、自分自身を曝け出して表現していきたい。

春の芽吹と共に、2023年が動き出した感覚がある。ここからギアを変えて、一気にアクセルを踏んで進んでいきたい。

2023年03月07日(火)乙女座満月

整然としたい

小学校5年生の時に、当時、通っていた学習塾のイベントで、スキー合宿に行った記憶がある。

その思い出の中で、何よりも覚えているのが、お宿でのことだ。

4人一組で同級生と同じ和室に寝泊まりしていたのだが、ぼくはせっせと友達の敷布団と掛け布団を畳んでいた。

別にいじめられていた訳ではない。

布団がぐちゃぐちゃとしている状態が、自分なりに気持ち悪く感じていたのだと思う。誰に頼まれる訳でもなく、同級生の布団を一つずつ、三つ折りにしていた。

大人になっても「整然」したい性格は変わっていない。

家を出る時は、部屋全体を見渡して、乱れがないか注視する。帰ってきた時に、洗い物が残っていたり、洗濯物がカゴの中に残っているのが嫌だ。

出張でホテルに泊まる時は、部屋に着いたら、まずは荷解きをしないと気が済まない。

バッグに入っている衣類を出して、ハンガーにかける。化粧水や乳液を洗面台に置く。iPadとスマホを机に並べる。

ものが所定の位置に収まっていないと、ソワソワしてしまう。

ギターの練習をする時も、いつも同じ手順。

弦のチューニングをした後は、メトロームをtempo90にして、スケール練習(指をスムーズに動かす訓練)から始める。

それが終わると、tempo90のまま、秦基博さんの「鱗」を弾き、それが終わるとtempoを66にして、オリジナル曲の「魔法」と続く。毎回、その繰り返し。

ジムで筋トレする時も、大抵、同じ順路。胸から始めて背中→腰→腹→足と進める。

ジムには歩いて向かうが、歩く道もいつも同じ。そして、毎回、神社に立ち寄る。

ぼくはそんな人間である。

副店長の大塚さん

「その時にしか書けない曲がありますからね」

去年の11月、東京の中野でオンラインライブをした時に、スタジオの副店長・大塚さんが、音響や照明などを担当してくれた。

大塚さんはぼくより若い。
20代と言ってただろうか?

若い頃、世の中に対しての不満や憎しみを「ヴィジュアルバンド」という形で表現していたそうだ。

※ ちなみに、ヴィジュアル系だけあって、大塚さんの操作する照明からは、様々な光がめくるめく煌めいていた

「○歳までに芽が出なかったら辞める」と決めて、結局、ボーカルの活動は引退。

今は、本当に不満があったのか?と思える程、爽やかな笑顔でスタジオの運営をされている。

配信が終わり、帰る準備をしながら、大塚さんは冒頭の言葉をぼくに伝えてくれた。

「弾き語りの活動をしているのなら、自分でも作詞・作曲をした方が良いですよ。その時期にしか書けない曲があるから」

その言葉が心に残っていて、ずっと「創作をしたいな、曲を作りたいな」と思ってもうすぐ一ヶ月。未だに一行も歌詞は書けていない。

その代わりと言ってはなんだが、こうやって昨日からエッセイを書き始めた。

朝、起きて、自炊して、ご飯を食べ、一息ついてから、iPadに向かって文字を打つ。書くことに対して力が湧き始めている。

「作詞」となるとハードルは高く感じるが、自由な形式の「随筆」なら、一定して書けそうな気がしている。

なんと言っても、ぼくは文学部だったのだ!

(・・・本当は教育学部に入りたかったけど、受験に落ちた滑り止めで、文学に大した思いも無く入学。卒業するのに5年もかかり、卒論もやっつけ仕事の始末。ダメダメな学生だった )

今しか書けない感情や状況を、素朴に言葉にしていけたら嬉しい。その書くという日々の行為が、次第に作詞に結びついていくと良いな。

大塚さんはぼくの歌声を聞いて、何かを感じたらしく「推したい」と伝えてくれた。

スタジオで働く中で、きっと色んな歌声を聴いているだろうし、本人も歌の活動をしていた、そんな人から希望のある言葉をもらえて、とっても嬉しくなった。

ぼくは今、37歳。

弾き語りの活動は35歳から始めた。きっと、大塚さんが引退を決意する為に決めた年齢はもっと若いだろう。

自分はどこまで出来るだろうか。無能さに押し潰されそうになる時もある。でも、やれるだけやってみたい。「大塚さん、売れましたよー!」と嬉しい報告をしたい。

大塚さんだけでなく、今まで関わってくれた人、支えてくれている人、両親・・・喜んでもらいたい人は沢山いる。

こんな気持ちは今しか書けない。だから、恥ずかしいけど、「イタい」と思われようが、こうやって残している。

食事をすること

一人で暮らすようになり、ご飯を作り始めた。

最初の頃は「料理なんてしている場合なのだろうか?仕事とか、他にもっとやることがあるのではないか・・・」と少しばかり思い悩んだこともある。

しかし、一ヶ月経った今では、

「いやいや、食事をすることこそが、何よりも暮らしの基盤を作るのだから、最も重要な取り組みをしているに違いない」とまで考えるようになった。

先日、星野源が「一汁一菜をしている」とオールナイトニッポンで話していたことも大きい。

星野源だって、悩んで、心身のバランスを崩して、食事を意識するようになり、自炊しているのだ。

きっと、星野源がぼくの一汁一菜を食べたら「だいちゃん、なかなかやるな」と一目置くに違いない。

「いやいや、そこは弾き語りを聴いてもらえよ」というツッコミは置いておいて。

朝、起きると、沸かした白湯を飲みながら、キッチンの上に必要な調理道具を順番に並べていく。この作業によって、一日の始まりを「オン」にしていく感覚だ。

手前にまな板。
まな板の上に包丁。

まな板の奥には、ピーラー、
おたま、ザルとボウル。

お米は2合を洗い、水を切って30分ほど放置しておく。その間に、味噌汁の具を一つずつ選んでいく。

舞茸、鶏のささみ、
玉ねぎ、ブロッコリー、ナス、

一つずつ食べやすい大きさに切り、鍋の中に入れて、また、次の野菜を選び、切って鍋に入れる。キノコや鶏はよく出汁が出るので、早めにお湯につける。

全ての具材の準備が終わる頃には、お米の浸水加減も良い塩梅になっている。

400ccの水をお米の鍋に加えて、味噌汁とお米の鍋を同時に着火。

火をつけると、それまで縛りのなく緩やかだった時間が、グンと動き出す。タイマーをセットして、そのまま弱火で10分。

10分経ったら、火を消して、ご飯を蒸らす為に更に10分。

その20分の間に、まな板や包丁、ボウルなどの道具を洗ったり、漬物を小皿に載せておいたりする。

二つの鍋も総仕上げ。最後に味噌を加えて、ご飯はしゃもじでさっくりと混ぜて完成。

これを毎日のように繰り返すうちに、今では「食事をする」という行為が一日の暮らしの中で大きな時間を占めるようになった。

準備は万端、心も身体もバッチリと整っている。あとは、この充電されたエネルギーを発揮して縦横無尽に活躍するだけだ。

誰かぼくに仕事を下さい(笑)

なんの保証もないし、これからどうなっていくかもわからない

こんにちは、橋爪大輔です!

去年の年末、YouTubeで「新しい環境に自分から飛び込んでいく様子」を発信しました。

誰だって最初はゼロからの一歩。そして、その一歩はいつからだって踏み出すことが出来る。

年齢がいくつだろうが関係ない。
キャリアがあるかないかも関係ない。
人脈があるかないかも関係ない。
お金があるないも関係ない。
どんな環境だろうが関係ない。

結局、諦めているのは自分自身。
自分で勝手に限界を作っている。

そういう「どうせ無理」を打破したくて、ぼくは今、ゼロからの一歩を踏み出しています。

もちろん、保証なんてありません。

なんの後ろ盾もないし、計算なんてしていない。まじでどうなっていくかわからない。

でも、ずっと信じているのは、

「次の一歩」を全力でやり切れば、必ず道は拓けていく、ということです。

だから、目の前にやってきた「次の一歩」にとにかく全集中する。それが、ぼくにとっては「 01月24日のブッキングライブ in 通天閣 」です。

詳しくはYouTubeの最新動画をご覧下さい。

1月24日をやり切るために、今、毎日、コツコツと弾き語りの練習をしています。

ランニングをして、筋トレをして、身体を鍛えています。そして、当日、今の自分のエネルギーを爆発させようと思っています。

今回、この文章を書いているのは、当日のスケジュールが先ほど、送られてきたからです。

ぼくの出番は「20:00」になりました。

18:30 白兎の月
19:00 たけちゃん
19:30 シーナ・ツカサ
20:00 橋爪大輔
20:30 むらたよういち

「20:00なら間に合うよー!」という方は、ぜひ会場まで観に来て欲しいです。

場所は「新世界 BILLIKEN-358」です。

〒556-0002
大阪市浪速区恵美須東1丁目15-6 宮浦ビル 1F

Openは17:30でStartが18:00。
ぼくの出番は20:00頃です。

参加費は2,500円で別にドリンク代が500円かかります。

必ず「会場まで来て良かった」と思えるような演奏をします。

時間の都合のつく方で、今のぼくのエネルギーを受け取りたい!応援するよ!という方はぜひ会場までお越しください。

チケットの申し込みは以下の申込みフォームまでお願いします!(マネージャーの中村啓子さんが窓口になっています)

そこから先はどうなるかわからない。でも、次の一歩はどこにいくか見えている。

あけましておめでとうございます!皆さんはどんなお正月をお過ごしでしょうか。

昨日は両親とお婆ちゃんが、ぼくの住む大阪の自宅までわざわざ来てくれました。お婆ちゃんは初めての大阪&初めての近鉄特急「ひのとり」に乗車、だったようです。

せっかく自宅まで三人に来てもらうので「お昼ご飯を食べてもらいたいな」と思いました。

去年の12月に離婚して、一人暮らしを始めました。

身内になればなるほど、ぼくのことを心配していると思うし、普段、どんなものを食べているか気にかけてくれているとも思います。

そんなぼくは一人暮らしを始めてから「一汁一菜」を実践するようになりました。

「暮らしにおいて大切なことは、自分自身の心の置き場、心地よい場所に帰って来る生活のリズムを作ることで、その柱となるのが食事」と、料理家の土井善晴さんは言います。

その土井さんが提唱しているのが「一汁一菜」で、ご飯、味噌汁、漬物。この食事の型を、ぼくは今、朝ごはんと夜ご飯の1日2回、取り組んでいます。

その日々の実践を両親にプレゼンしたかったのです。息子はちゃんと健康的な生活を送っているよ、と、料理を通じて伝えたかった。

現に、本当に健康なのです。

体重は離婚前から変わらずに、ずっと60〜62kgをキープしていますし、さらに、ここ最近は、朝ごはんを食べたあと、午前中に必ず排便がくるようになりました。

母親からは「実家の料理より美味しい」と言われて嬉しかった。

この一汁一菜は、調味料をほとんど何も使っていません。

味噌汁に使う味噌と、漬物に使う塩ぐらいです。味付け、というものをしません。醤油も油も使いません。それが美味しい。

この一汁一菜を基盤にして、ぼくは2023年、必ず飛躍してみせます。

年末にライブバーに行き、オープンマイクを初めて経験しました。そこでご縁が出来た方の紹介で、1月24日に大阪のライブに「ブッキングしてもらう」という、新たな展開が生まれました。一つの行動が次の一歩に繋がったのです。

そこから先はどうなるかわからない。でも、次の一歩はどこにいくか見えている。

だったら、1月24日に死んでも良いと思って、最高のパフォーマンスができるように、毎日毎日、コツコツコツコツと準備をし続けます。

そして、当日、エネルギーを爆発させてやる。

2023年は一世一代の勝負の年です。

2023年01月03日

自分の人生を生きることを恐れないで

毎年、冬の時期は新しい季節に向けて、一旦、ゼロになるな、と感じている。

2022年に蒔いた「願望」は冬になる前に大体、収穫が終わった。今、ぼくの畑は次のシーズンに向けて、土壌を耕している、という感触だ。

今の自分に必要がないものは、年末までに殆ど手放した。

というよりも、半ば強引に削ぎ落されていった。それによって、結果的に、エネルギーは引き締まったし、身軽になったので、いつでも加速出来る準備は整っている。

どんなことがあろうが、自分の人生を生きることを恐れないで欲しい。あなたの人生を生きることは「あなた」以外の誰にもできないことだから。

何があっても大丈夫だ。

ぼくたちは既に、様々な存在から沢山の助けの手を差し伸べられている。

それはテレビから入ってくる情報かもしれないし、親しい人からのお誘いかもしれない。コンビニでもらうレシートの「ゾロ目」も応援だ。

もうこれ以上「得る」必要はない。

それらのサインに「気付く」だけでいい。

「こうしなければいけない」というこだわりや制限を捨てた時、大いなる存在はぼくたちを最善の道に導いてくれる。というか、今も導かれている。

流れに身を任せよう。

天気が変わるように、季節が変わるように、流れもどんどん変化していく。やってくるものに対して、善悪のジャッジをせずに、ただただ「面白いなあ」と楽しんでいればいい。

「有難いなあ」と感謝するだけ良い。豊かさを遠慮せずに、受け取ろう。

ぼくたちの人生なんて、宇宙の歴史から観たら、一回の呼吸に過ぎない。だから、生きている今を思う存分、楽しもう。

時間は貯金できない。心がワクワクするものを追い求めよう。

畑は、今はゼロの状態だ。何の種も蒔いていない。ということは、今から何だって創造出来る、ということだ。

次はどんな体験をしようか。

全て自分で決められるのだから。

2022.12.13 橋爪塾 文章表現より