




子どもは本当にすごい
ぼくたち大人の中には、何かを教えてもらった時に、失敗すると、「すみません」と反射的に謝る人がいる。何か発表をしたり、パフォーマンスをする時、まだしていないのに、自分を下げた状態、至らない状態にしてから、やりだす人がいる。先生が集団にむけて「やりたい人?」と問いかけても、挙手する大人は少ない。失敗するのが嫌、恥ずかしいところを見られるのが嫌。
子どもは、あるがまま。自分を落とす行為なんてしない。こちらが何も教え込まなくても、こちらが何も押し付けなくても、どんどん言葉を覚えていくし、どんどん、歩き出して、まだ触ったことの無いものに手を伸ばす。
内側に許可を出すこと
この一年間、こころの勉強をし続けて、はっきりとしたことがある。それは、何か、外側にある「資格」や「実績」を自分に付け足すことで、自分に価値を見いだすのではない、ということ。もう、自分の中にある「良さ」あるいは「欠落したもの」を許してあげることで、解放してあげることで、緩めてあげることで、価値を自覚する、ということ。
もう、すでに、今、実は、そのままの自分達に、価値は「ある」。
歌が上手いヘタに関係なく、自分達の声には価値がある、ということ(ボイトレ)。今、悩みを抱えているか、いないに関係なく、自分達の生き方には価値がある、ということ(ここトレ)。実績があろうが、なかろうが、その集団の営みには価値がある、ということ(合唱団、会社)。自分の子どもに価値があるように、自分にも価値がある*。
*そして、商売をしている(特に、ぼくぐらいの駆け出しのフリーランスの)人は、しっかり、その価値に対して、値付けしてあげること。じょんの料理が今の値段の半分だったら、魅力も半減する
直感を信じる
子どものように、ほっておいても、日々、自分達はぐんぐんなりたいように成長していく。しめつけなくても、押し付けなくても、興味のあるものにどんどん近づいていく。
計画的に行動出来る人は、何の問題もない。しかし、飽き性の人は、それを弱点と捉えずに、個性を捉えよう(リフレーミング)。欠落しているものを愛そう。
「目標」を立てずに、「直感」を信じて、あえて、いきあたりばったりに進んでも、幸せに暮らせる、ということを、ぼくはこのブログで人体実験として54日目の今日もお伝えしている。子どものように夢を語るメルシーを見ながら、こんなことを思った。
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