たとえ、自分がリアルな場では引きこもり、SNSを断って独りだったとしても、ドキュメンタリーという次への接点がある限り、ぼくは他者と繋がることが出来る。しかも、とっても深く親密に。

現在、23時30分。

まさみん・ドキュメンタリーはようやくトーショー開演まで到達した。かれこれ、すでに10時間はパソコンに向かっている。

写真は詩人いろは出版・社長きむさんのトークが始まり、会場に一緒に来ていた奥様に向けてきむさんが「世界一の妻です」というシーン。

サラッと凄い言葉を言うきむさんに会場はどよめく。その雰囲気がとっても良くて、サムネイル画像にした。

きむさんと言い、しなやんと言い、今までの生活圏内から一歩外に踏み出すだけで、世の中にはこんなにも凄い人がゴロゴロといるのか、と驚いている。

今日、「まさみんのドキュメンタリーを撮っています」という記事をFacebookやTwitterでシェアすると、すぐに「私も撮ってほしい」というコメントやメッセージを数件頂いた。

嬉しい。

ドキュメンタリーは、言い換えるならば、撮影対象となる相手をとてつもなく深く受信する行為、とも言える。

撮影当日はどこまでも相手に密着する。

そして、次の日からは、パソコンの画面越しに相手の声や表情にずっと気持ちを寄せ続ける。

どこまでもどこまでも、一人の人と繋がり続けている、という感覚で、その時間を過ごしている時は、自分のことなんて本当にどうでも良くなってくる。

だから、「撮ってほしい」という言葉は、次への繋がりが生まれるきっかけをもらった、とも言える。

たとえ、自分がリアルな場では引きこもり、SNSを断って独りだったとしても、ドキュメンタリーという次への接点がある限り、ぼくは他者と繋がることが出来る。しかも、とっても深く親密に。

動画が出来ると、対象となる人だけではなく、その人の家族や友人もYouTubeで見て楽しんでくれる。

ぼくの感性で好きに作った動画で、喜んでもらえたり、泣いたりしてもらえる。こんな嬉しいことはない。

だからこそ。

深く人と繋がり、他者をどこまでも真摯に受信出来る接点を持っているからこそ、普段は「愛想の良い付き合い」は辞めて、自分のナイフを磨いていきたいと、今、思っている。