『ぶつかる』ことは「自分の本当の気持ち」に気づくチャンス

相手とぶつかったり、喧嘩したりした時に、正論で「どちらが正しくて、どちらが間違っているのか」という、善悪の視点で物事を見たとする。

すると、それは相手との戦いの合図になり、その行末は相手を倒すことで「ほら、自分がやっぱり正しい」「あなたは間違っている」という結果に行き着く。

心の奥底にある子どものような素直な気持ちは隠れたままだ。

コントロール出来ない相手の一挙手一投足に苛立ち、「どうにかして相手を変えたい」「降参させたい」という怒りの炎を燃やし続けるだろう。自分の正論をより確固なものにするための味方集めに忙しい。

しかし、一方で『ぶつかる』ということが「自分の本当の気持ち」に気づくチャンスだと捉えてみる。

相手からの『ぶつかり』という刺激に対して、自分が「嫌だ」という拒否反応を示した、といことは、その反対側には「じゃあ、本当の自分の気持は何なのか?」が隠れているとも言える。

こうなると『ぶつかる』ということは、その気持ちを探るチャンスを相手から贈ってもらえた、と捉えられる。

すると、相手は悪者どころか、自分の本音に気づく手伝いをしてくれる助産師さんに早変わりする。

確かに生み出すことは痛く、苦しいかもしれない。

でも、相手を悪者に設定して『自分が正しい』と言い続ける限り、その『ぶつかり』は手を変え品を変えて、何度も何度も、その人のもとに訪れ続けるだろう。

その固く握りしめている手を緩めて、薄皮を剥がし、自分の傷口(過去にトラウマになってしまったこと)に向き合うか、どうかは、結局は自分次第。

本質的に相手・他者は関係ない。