ぼくは遊んでばかりいる

日曜日。

車の中からふと外を見ると、携帯電話のショップの店の前でスーツに法被を着た男性3人が(無料だったかお得だったか忘れたが)何かが書かれた旗を八の字に振り、店の前を通る車に販売促進のアピールをしていた。

それを見た人は「あ、ショップに行こう」と思うだろうか。大人の男性が三人も店の前に立つ必要があるのだろうか。そして、世間ではこの行為を労働というのだから不思議だ。

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一方、ぼくは遊んでばかりいる。

昨日から、森達也監督のドキュメンタリー映画『FAKE』をAmazonビデオで観始めた。子どもを寝かしつけてから、夜にスマートフォンで観ていたので、まだ半分ぐらい。ゴーストライターの件で話題となった、佐村河内守さんに焦点を当てたドキュメンタリー。ドキュメンタリーは、マスメディアでは拾い上げることが不可能な一人の感情を丁寧に浮かび上がらせる。

当時、佐村河内さんにはフジテレビの特別番組に出て弁解をする、真実を伝える、という機会は訪れていた。しかし、彼はオファーを断る。そして、代わりに新垣隆さんが出演する。その映像を自宅のリビングで観る。また、新垣さんが音楽番組に出演している姿をYouTubeで観たり、新垣さんが雑誌でインタビューされている記事を見る。

普通の感覚なら、表に出て佐村河内さん側の言い分を伝えればいいのに、と思う。しかし、彼は拒否する。表明しようとしない。それは、自身の中に怒りを、悲しみを、あるいはもしかすると表に表すことが出来ない真実を溜め込んでいるような気がした。芸術家はそのようにして己の創造性を蓄えるのだろうか。

とにかく、その人の表層の奥の奥の奥にある、嘆きや怒り・悲しみや想いをドキュメンタリーは受け止める。

次にぼくが対象とする人は、その奥にあるものまで到達できるような、そんな撮影をしてみたいな、と森達也監督の作品を観ながら思った。まだ、最後まで観ていないのだけれども。

もっとドキュメンタリーについて撮影について勉強したいな、という欲が高まっている。やはり、ぼくは遊んでばかりいる。