2月への鎮魂歌

2009年から2013年までの4年間、大阪市生野区にある劇団如月舎に務めていた。月給は11万円。

劇団を退職して、もう4年が経つ。

辞めた当初は「自分が抜けたら、絶対に劇団は痛いだろう」と思っていた。

しかし、若気の至りをあざ笑うかのように、ぼくが退職をした後も、如月舎は淡々と初志貫徹して、舞台芸術の凄さや心躍る楽しさを小学校や中学校の子ども達に届け続けていた。

そんな劇団如月舎が去年の12月に解散公演を行っていた。32年の児童青少年演劇の取り組みに、その幕を閉じた。

寒い冬だった。

大学5回生を終えて、どこにも就職していなかったぼくは、ハローワークで見つけた求人票を片手に、赤いユニクロのダウンコートを着て、生野区田島にある劇団の事務所に面接を受けに行った。

面接では「スキップは出来る?」「ツーステップは?」と質問されて、事務机の周りをグルグルと回転させられた。

「ジャンプはどれぐらい高く飛べる?」と言われて、どこまでも高く高く飛ぼうと、何度も何度も跳ねた。

寒い冬だった。

「橋爪、もっと素直になれ」と先輩からはよく言われた。

ぼくは「はい」とぶっきらぼうに応えてその場を立ち去り、体育館の壁に向かって倒立をしながら「素直と従順は違う」とぶつぶつ言った。年の近い先輩が「橋爪、黙っとけ」と釘をさした。

入社してしばらく経った後、劇団の公演『のらねこハイジ』を小学校の体育館で観た。全学年集まった子ども達の一番後ろで見た。

『ハイジ』は30年続く作品だが「全く古くなく、今の子ども達にも伝わる!」と震えた。ロングランにはロングランする理由がある。

体育館は子ども達の笑い声に包まれていた。

ぼくはその後、名作『のらねこハイジ』のドラキチ役をキャスティングしてもらったり、これまた名作『走れ!ライオン』のパパライオン役を演じさせてもらった。

これらの名作がもうこの世に二度と存在しないと思うと、残念な気持ちしかない。

こんなことなら、もう少し働き続ければ良かったと思う。一方で、退職して新たな一歩を踏み出さなければ、今の自分もないと思う。

如月舎は本当に多くのことを教えてくれた。

台詞を一言一句、正確に客席に届ける舞台発声の技術・舞台上での立ち居振る舞い・お客さんとのコミュニケーションや集中力の生み出し方・物語を読み込む読解力・本番を何度も繰り返す持久力・・・。

本当にありがとうございました。32年間、お疲れ様でした。

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検索していたら偶然見つけた8年前の写真