両親に初めて買ってもらったゲーム機はスーパーファミコンだった。
小学生の時は『クロノ・トリガー』に熱中して、中学生の時はプレイステーションの『Final FantasyⅧ』(FF8)にハマり、高校生の時はWindowsで『オンラインボンバーマン』を毎晩のようにしていた。
しかし、ファミリーコンピューターのゲームは『親から怒られるもの』『いつかは中断しなければいけないもの』の代表であり、一方で『夢中になっていつまでもやり続けるもの』の象徴だったのではないか。
実際、ぼくもゲームをし過ぎてお父さんに何度も機械を隠された。でも、だいたい隠している場所は知っていたので、また取り出して夜な夜な遅くまで遊んでいた。
FF8の壮大なドラマに感動して、フェイ・オンの歌う『Eyes on me』に涙を流した。そういえば、妻も『Eyes on me』が好きで、その共通の嗜好も手伝って大学生の時に仲良くなった・・・はずだ。
それぐらい、ぼくたちの世代にとってゲームは熱中の対象であり、ある種の背徳感を伴う行為だったのだろう。
しかし、今の子ども達はどうだろうか。
『好きなことで生きていく』と謳いながら、ゲームの実況中継をしているYouTuberの姿を、手元のスマートフォンで簡単に視聴することが出来る。
今、子ども達は好きなことを熱中してやり続けた先には、精神的にも経済的にも豊かになれるチャンスがあることを、ぼくたちの世代よりは感じ取っているのではないだろうか。
時代の変化。
そんな価値観の変わり目である、2012〜2014年頃の『プロ・ゲーマー』に密着したドキュメンタリー映画『リビング ザ ゲーム』を、昨夜、渋谷のシアター・イメージフォーラムで鑑賞した。

6人ほどの登場人物に焦点が当てられていたが、ノンフィクションとは思えないほど、それぞれの人物の『物語』が描かれていた。
たとえゲームに興味がなかったとしても、この人物の誰かには感情移入するのではないだろうか。それぐらい普遍的なテーマが表現されている。
YouTuberのなかったこの時代でしか生まれることがないだろう『感情』を記録した映像としても貴重だ。

ぼくは半年前から見よう見まねでドキュメンタリー映像を作り始めた。
最初はスマホ一台で撮影と編集をした。今はsonyのハンディカムで撮影をして、adobeのpremire elementsで編集をしている。
その自分からすると、撮影に1年以上もかけて、しかも、ここまで骨太なドラマを生み出す合津貴雄監督(34歳)の創造する体力に、尊敬の念を抱きます。
ぼくなんかはたった5時間の映像素材を見直すだけでもヒーヒー言っているのに。
しかも、監督は立命館大学卒業の34歳。佛教大学卒業の32歳のぼくと過ごされただろう環境的には、ほぼほぼ同じです(笑)
自分もドキュメンタリーを作り続けた先に、監督ぐらいの気骨な物語を編み出したい。そんな気持ちにさせてくれた作品でした。
ありがとうございました。

p.s.
東京最終日の今日は、今回の旅の目的であるダンサー・さんぽこさんのドキュメンタリーを撮ります。