「人生は苦ばかり、と仏は言います」と、お寺のお坊さんが言いました。
今日は、叔父さんの初月忌でお参りがありました。
再来週の4月22日の満中陰(四十九日)まで、良い機会なので二週間に一回のペースで実家の三重県津市に帰省しています。
その法事の中で、お坊さんが「人生は苦ばかり」という話をされていました。
仏の言う「苦」とは「思い通りにいかない」ということだそうです。
「こうしたい」「ああしたい」と思っていても、人生はその思いの通りにいかないことのほうが多い。
身内がなくなることも、生きることも思い通りにはいかない。
しかし、桜は散ることがわかっているからこそ、あんなにも美しく感じる。人はいつか死ぬことがわかっているからこそ、命が輝いて見える。
『ある』ものはいずれなくなる。
だから、ないものに目を向けるのではなく、今、すでにそこに在るものを慈しむ。ありがたむ。
思い通りにいかないものを思い通りにしようとコントロールしない。
今そこにあるのもたまたま。そこにないものたまたま。
目の前にあるものは、たまたま偶然、自分の前にある。
だから、所有せずに贈る。執着しない。ということは、ないものにも嘆かない。いつか巡り巡ってくることもあるだろう。
そんなことを思った今日でした。
