おはようございます。今朝は5時30分に目が覚めました。
昨日の午前中は、龍神三部作・第二章『伊勢神宮 邁進』編【第一話】『アマテラスさんからメッセージがきた!?』(タイトル仮)の編集をしました。
第二章【第一話】
サムネイル画像の候補です! pic.twitter.com/U3Mm0MNMkG— 橋爪大輔 🌈 (@hashidumemo) May 25, 2018
新シリーズ。
作っていて、とても楽しかったんです。
よしくんと二人で龍穴神社さんに行った時のほのぼの感がある!と感じたからかもしれません(笑)
新シリーズの編集が楽しすぎる…。 pic.twitter.com/XxNjvXyOKh
— 橋爪大輔 🌈 (@hashidumemo) May 25, 2018
今回のシリーズで、ぼくたちにメッセージを降ろしてくれる方は、スピリチュアル・カウンセラーしおりさんです。
私は今回、神様から最幸の使命を与えて頂けたんだなぁと思いました。メッセージを伝えられたこと、聞き入れて頂けたこと、本当に嬉しいです。 https://t.co/4v8jjpdTXC
— 松井しおり (@SHIORI_2577) May 26, 2018
しおりさんのTwitterの投稿を読んで思いました。
「指揮者は合唱団がいないと何も出来ないように、メッセージを伝える人は受け取る人の存在が不可欠なのだろう」と。
しおりさんが上でぼくらが下、とかではない。お互いがお互いを大切な存在としている。
しおりさんに喜んでもらうために、自分の頭は空っぽにした状態で、きたものを受け止めて、ますます突き進んでいくことで、更により良いパートナーシップを築きたい。
そんなことを思いました。
京都に到着!今日から二日間、ロームシアター京都で開催される京都合唱祭に、歌い手(1日目)⇒講師・指揮者(2日目)として参加します。会場に着くまでに鴨川の神様・タカオカミさんに、これまでの感謝と二日間の盛会をお祈りしました。ホールの近くに宿泊も予約して今日・明日は自由!楽しみすぎる。 pic.twitter.com/R7K1rjvvif
— 橋爪大輔 🌈 (@hashidumemo) May 26, 2018
昼過ぎから京都へ移動。
ホール近くのゲストハウスを予約していたら、スタッフの手違いで予約が出来ていなかったらしい。お詫びに【4人部屋にグレードアップ】してもらった。ベッドが四つもある(笑)いきなり京都の神様に祝福されている(気がする)。今からホールに移動して小アンサンブルコンテストに出場します。幸せだ。 pic.twitter.com/EjKJjUAYXi
— 橋爪大輔 🌈 (@hashidumemo) May 26, 2018
ロームシアター京都の近くのゲストハウスを予約していて、チェックインに行くと、なぜかグレードアップしてもらえました(笑)

京都合唱祭。
一日目は歌い手として参加しました。

出番を待つ間、久しぶりに他のグループの演奏を聴きました。
ここからは、昨日、自分が強く感じたことを書きます。
★
何ヶ月ぶりでしょうか。本当に久しぶりに他の合唱団の合唱を聴きました。
そして、それらの合唱団の演奏技術が<高い>か<低い>かとは全く別次元で、演奏を聴いている自分を発見しました。
ほんと、言葉通り「はっ!」と気づいたのです。

どちらかと言えばハーモニーは不安定で滑舌も悪い。でも、<伝わる・心に沁みる>演奏があります。
一方で、発声は整っていて和音もバッチリハマっている。確かに上手い。でも、<・・・それで?>と思う演奏もあります。
そこの明確な差は、その歌声に<感情>があるかどうかだと気づきました。もっと言えば、<魂の叫び>があるかどうか。
合唱というジャンルがそうさせるのでしょうか。
歌の始まりから最後まで、<ずっと同じトーン>で演奏をしている団体が多い。
でも、朝起きてから夜寝るまで、ずっと同じ調子で過ごしている・・・ことはないじゃないですか。
日常生活を送っていたら、嬉しいこともあり、悲しい出来事にも遭遇する。
同じように、演奏しようとしているその音楽・楽譜には、盛り上がるべき<ヤマ>があり、張り裂けそうな<痛み>があり、心踊る<喜び>が示してある。
にも関わらず、ずっと同じトーン!
★
合唱界に行くと「先生」という言葉が耳につきます。
ぼくも今日、11時から講習をするのですが、実行委員のスタッフさんからは「先生」と呼ばれました。
いや、嬉しいんですよ。
でも、ぼくからしてみたら、そのスタッフさんも「先生」足り得るし、人間、誰かにとっての何かしらの「先生」だと思うんです。
でも、指揮者を先生と言い、作曲家を先生と言い、その先生の言葉を必死にメモする。
・・・ところで、<自分の歌>を歌いませんか!?ということなんです。
指揮者も作曲家も大切で、敬意は払います。でも、その上下関係が音楽の中にまで入ってくると、<自分の感情>が疎かになる時がある。
パートナーぐらいに思ったほうが良いんじゃないか。
上下関係が出来た瞬間に、<自分の感覚>より<目上の人の感覚>を正しいものとしてしまう。
すると、「これが正解かな?」「これは間違っているかな?」という思考が生まれて、結果、舞台に立って演奏していても<自分の感情>を舞台で表現できない。
ハモっているか、上手いか下手かは、もちろん大切ですけど、それはあくまで技術・道具であって、その道具を使って、一体、自分は、自分達は<何を表現したいのか>。
そこに到達している演奏は少ない、と<ぼく>は感じました。
もし、明日死ぬとしても、果たしてそうやって歌うのか?
それは魂の叫びなのか?
ちょっと合唱団にとっては暑苦しいかもしれませんが(笑)、今日・二日目は、<魂で歌う>。これをテーマにして、舞台で演奏・挑戦してきたいと思います。
合唱団の皆さん、よろしくです!
