明日、死ぬとしても、果たしてそんな表現をするのか?

おはようございます。今朝は5時30分に目が覚めました。

昨日の午前中は、龍神三部作・第二章『伊勢神宮 邁進』編【第一話】『アマテラスさんからメッセージがきた!?』(タイトル仮)の編集をしました。

新シリーズ。

作っていて、とても楽しかったんです。

よしくんと二人で龍穴神社さんに行った時のほのぼの感がある!と感じたからかもしれません(笑)

今回のシリーズで、ぼくたちにメッセージを降ろしてくれる方は、スピリチュアル・カウンセラーしおりさんです。

しおりさんのTwitterの投稿を読んで思いました。

指揮者は合唱団がいないと何も出来ないように、メッセージを伝える人は受け取る人の存在が不可欠なのだろう」と。

しおりさんが上でぼくらが下、とかではない。お互いがお互いを大切な存在としている。

しおりさんに喜んでもらうために、自分の頭は空っぽにした状態で、きたものを受け止めて、ますます突き進んでいくことで、更により良いパートナーシップを築きたい。

そんなことを思いました。

昼過ぎから京都へ移動。

ロームシアター京都の近くのゲストハウスを予約していて、チェックインに行くと、なぜかグレードアップしてもらえました(笑)

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リハーサル風景

京都合唱祭。

一日目は歌い手として参加しました。

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写真は京都府合唱連盟のFacebookより

出番を待つ間、久しぶりに他のグループの演奏を聴きました。

ここからは、昨日、自分が強く感じたことを書きます。

何ヶ月ぶりでしょうか。本当に久しぶりに他の合唱団の合唱を聴きました。

そして、それらの合唱団の演奏技術が<高い>か<低い>かとは全く別次元で、演奏を聴いている自分を発見しました。

ほんと、言葉通り「はっ!」と気づいたのです。

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写真はイメージです

どちらかと言えばハーモニーは不安定で滑舌も悪い。でも、<伝わる・心に沁みる>演奏があります。

一方で、発声は整っていて和音もバッチリハマっている。確かに上手い。でも、<・・・それで?>と思う演奏もあります。

そこの明確な差は、その歌声に<感情>があるかどうかだと気づきました。もっと言えば、<魂の叫び>があるかどうか。

合唱というジャンルがそうさせるのでしょうか。

歌の始まりから最後まで、<ずっと同じトーン>で演奏をしている団体が多い。

でも、朝起きてから夜寝るまで、ずっと同じ調子で過ごしている・・・ことはないじゃないですか。

日常生活を送っていたら、嬉しいこともあり、悲しい出来事にも遭遇する。

同じように、演奏しようとしているその音楽・楽譜には、盛り上がるべき<ヤマ>があり、張り裂けそうな<痛み>があり、心踊る<喜び>が示してある。

にも関わらず、ずっと同じトーン!

合唱界に行くと「先生」という言葉が耳につきます。

ぼくも今日、11時から講習をするのですが、実行委員のスタッフさんからは「先生」と呼ばれました。

いや、嬉しいんですよ。

でも、ぼくからしてみたら、そのスタッフさんも「先生」足り得るし、人間、誰かにとっての何かしらの「先生」だと思うんです。

でも、指揮者を先生と言い、作曲家を先生と言い、その先生の言葉を必死にメモする。

・・・ところで、<自分の歌>を歌いませんか!?ということなんです。

指揮者も作曲家も大切で、敬意は払います。でも、その上下関係が音楽の中にまで入ってくると、<自分の感情>が疎かになる時がある。

パートナーぐらいに思ったほうが良いんじゃないか。

上下関係が出来た瞬間に、<自分の感覚>より<目上の人の感覚>を正しいものとしてしまう。

すると、「これが正解かな?」「これは間違っているかな?」という思考が生まれて、結果、舞台に立って演奏していても<自分の感情>を舞台で表現できない。

ハモっているか、上手いか下手かは、もちろん大切ですけど、それはあくまで技術・道具であって、その道具を使って、一体、自分は、自分達は<何を表現したいのか>。

そこに到達している演奏は少ない、と<ぼく>は感じました。

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もし、明日死ぬとしても、果たしてそうやって歌うのか?

それは魂の叫びなのか?

ちょっと合唱団にとっては暑苦しいかもしれませんが(笑)、今日・二日目は、<魂で歌う>。これをテーマにして、舞台で演奏・挑戦してきたいと思います。

合唱団の皆さん、よろしくです!

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今日のぼくは多分暑苦しいよ(笑)