おはようございます。今朝は6時40分に目が覚めました。
昨日から三重県津市の実家に息子と二人で帰省しています。
※ 写真上は祖母が栽培する家庭菜園

今日、日曜日が法事。
明日は百姓しなやんが取り組むきゅうり農園・しなやかファーム(三重県四日市市)に行き、きゅうりの収穫のお手伝いをしよう。
そんな予定で津市に戻っています。

一か月前の5月。
実家のダイニングテーブルで『怒涛の5月になりそう』という記事を書きました。
その言葉どおり、振り返れば、もの凄いスピードで様々な出来事が起こっていったように思います。
心屋仁之助さんに龍神三部作の動画をシェアしてもらった事により、それ以前の何倍もの方に『橋爪大輔』という人間を認知してもらえるようにもなりました。
本当にありがたいことです。
ぼくは思います。
時間が流れていくように、雲が流れていくように、人間の心も、一秒たりともとどまることはなく、風に吹かれて、どんどんと変化をし、新たな気付き、新たなステージへと移っていくのだと。
ぼくは4月2日に小野寺S一貴さんの著書『妻に龍が付きまして…』『日本一役に立つ!龍の授業』と出会ってから、龍神さんについてとても興味がわき、小野寺さんのブログを読んだり、龍さんについて書かれている他の方のブログや本を読んだりして、知識を深めていきました。
そして、神社を参拝したり、旬の野菜を食べたり、神棚を祀り、掃除をして大祓詞を読むなど、様々な行動もしてきました。
その結果、今、ぼくは以前のような<昂った感覚>は落ち着きを見せ、この『龍神さんや神様はいらっしゃる』という意識は自分の身体にインストールされながらも、その意識と<共に静かに過ごす>という感覚になりつつあります。
ぼくは思います。
「龍神さんはいるの?」「龍神さんはどうすれば付いて下さるの?」という視点は、確かに興味深い。
ぼくも60日間ぐらい、そんな気持ちや好奇心が、自然と自分の意識の中に沸き続けていました。
一方で、それらの視点というのは本質ではないように今は思えるんです。
本質というか、通過していくもの。
最初、自転車は乗れません。
補助輪をつけてペダルをこぎ、親に支えてもらって、やがて一人で運転出来るようになります。
自転車に乗れるようになった後は「自転車はどうすればのれるの?」という意識は流れて「じゃあ、その自転車でどこに向かおう?」という視点に変わっていく。
龍神さんも同じ(と書くとちょっと失礼ですが(;’∀’)で、
いつまでもいつまでも<龍><龍神>というキーワードに固執しているといのは、人生の本質ではないように思えるのです。
もちろん、ある一定の時期<ハマる>ことはあるかもしれません。
その時は、もうなりふり構わず、自分の好奇心に任せて、ドドドどどっと行動したら良いと思うんですね。
でも、その後は、自然と落ち着く。
自宅の駐輪場に普段は置いてあって、たまにメンテナンスをして、晴れた天気の良い日に、行きたい目的地に向かって、力強く漕ぎ出す。
そんな感覚なんじゃないか、とぼくは今、感じています。
ようするに、結局は【自分はどう生きたいか】【何をやりたいか】という人間の意志。
これが本質で、その成し遂げようとする心を神様に宣言して一歩を踏み出した時、その行動を強力に後押ししてくれるのが龍神さんなのだろう、と。
もちろん、自分には龍神さんが付いて下さっている、という安心感は半端ないと思います。
じゃあ、しかし、龍神さんが傍にいなかったら、自分は【理想の生き方】【死ぬまでにやりたいこと】を追求しないのでしょうか?
龍神さんがいらっしゃろうが、なかろうが、関係なく、志を持ち、旗をかかげて、自分のやりたいことをやる。
自分は今世の人生をどう生きたいか。
ここに核心があるように、今、思っています。どこまで行っても、主人公は自分自身。
自分の<感覚><好き嫌い>を操縦席の真ん中に座らせてほしい。
偉い人の声も、実績のある人の言葉も、影響力のある人の発信も、経済力のある人のアドバイスも、全部、情報の一つでしかない。
もちろん、情報収集は気が済むまで沢山集めたらいい。
でも、データが出揃った後、どこに進むかは自分の<感覚>で決めて行きたい。
自分の感覚を他人に譲るな!
p.s.
しおりさんの最新ブログにいきなりぼくの名前が出てきて驚きました(笑)
【アメブロ】
ブレーキをアクセルに変える
p.s.その2
リボン作家あゆみさんによるワークショップ。まだ少しお席に余裕があるようですよ!
ぼくは当日、お茶出し係をすると思います(笑)
▷ 6/15(金)龍神ブレスワークショップ@橋爪事務所の申し込みに関して