軽井沢で感じたこと

まずは三日間、独りで軽井沢の旅に行くことを許してくれた妻。そして、不在中、4歳になる息子の子守をしてくれた両親に感謝します。

ぼくは合唱の指揮をしています。

2005年の大学2回生の時に佛教大学混声合唱団の学生指揮者になりました。

卒団後、一般合唱団を京都で2009年に立ち上げて、今年で9年目。月に2回程度、日曜日に指揮をしています。

8月24日(金)から26日(日)まで【軽井沢国際合唱フェスティバル2018】に参加しました。

学んだことはとても多い。

大阪に帰る新幹線の中でこの文章を書いています。おそらく、今、書かなかったら、もう二度と軽井沢で感じた気持ちを思い出すことは出来ないでしょう。

なので、軽井沢での3日間を思い出して、言語化したいと思います。

ご興味のある御方はお付き合い下さい。

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一日目 8/24(金)

大阪から東海道新幹線で東京駅へ。乗り換えて北陸新幹線で軽井沢駅へ。夕方頃に到着すると、その居心地の良さをまず感じました。

音が少ない。空気が気持ち良い。景色が綺麗。近くにショッピングモールがありましたが、モールでさえも歩いていて嫌な感じがしない。

軽井沢という地に短期滞在するだけで、身体と心はリフレッシュするだろうなと直感しました。

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荷物を持ったまま会場の大賀ホールへ。

夜のプレミアムコンサートを鑑賞しました。まず新鮮だったのはフェスティバルの雰囲気です。

客席からの惜しみのない拍手と歓声。日本の演奏会には殆ど無い空気感だと思います。スタッフの方々の『毎年、このフェスを創り上げている』という気合が、その雰囲気から伝わってきました。

ポーランドから来日した8人のアンサンブルの演奏を聴きました。久しぶりに海外の団体の演奏を聴いて感じたのは『声を張り上げてない』という点。

日本人は大合唱に慣れているので、どうしても大声になってしまう傾向があるのですが、ポーランドのアンサンブルは静かでいてダイナミックなパフォーマンスが印象的でした。

コンサートを終えて、徒歩4分のアパホテルに向かいます。見上げると満月の夜。月の光以外にほとんど電気はありません。明日の指揮法講座に向けてホテルで譜読みを始めました。

勉強はいつも一夜漬けです。

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二日目 8/25(土)
三日目 8/26(日)

午前10時。メインホールにて中国や台湾の指揮者の方による『Let’s sing togther(朝の発声)』から始まりました。

御二方のウォームアップを見て、【発声練習】の時間は『訓練』という側面よりも『ワクワクとした好奇心』を刺激する時間に、現代ではなりつつある、と感じました。児童合唱団の先生だからかもしれません。

遊びのように身体を動かして、ゲーム感覚で声を出す。一昔前の『ドレミファソファミレド・ジャンジャーン(転調)』とは違う方向性を感じました。

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いよいよ、音楽監督であり作曲家・指揮者 松下 耕先生の合唱指揮法講座が始まりました。

ここで学んだことは大きい。

ぼくは今、32歳ですが、この年齢で二日間、松下先生から合唱について、合唱指揮についての視点を学べたことは幸運でした。

★ 合唱指揮者について

印象に残った言葉の一つは【自分をごまかす人】と【真摯な人】の違いについてです。

指揮者は偉くなんかない。

ただのコンダクターであり、まとめたり、制御したりする人。もちろん見識は必要だけれども、それは権威的な態度ではない。

作品について誠実な人は静かで落ち着いている。一方で、一見すると派手に見えて大振りな人は、真相では努力や乗り越えるべき壁をごまかしていることが多い。

「型破り」と「形無し」は違う。そこをはき違えては行けない。そんなことをおっしゃっていて、心に響きました。

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★ コントロールについて

【拍】に関する考え方が深かったです。

指揮は拍を示す行為。拍を示すと時間が進んでいく。しかしその時間までもコントロールし始めると窮屈になる。

拍と拍の間の時間は『力を抜くこと』。力とは身体の力でもあるし、心の力を抜くことでもある。力む、とは『俺は出来る』という驕りでもある。

この【拍】に対する考え方は指揮だけでなく「司会・進行・ファシリテーション・レッスン」など、様々なジャンルに共通すると思いました。

拍を示すとは、点を示すこと。アドバイスを提示すること。方向性を定めること。

定めた後は、時間が流れる。その流れ出した時間はコントロールしようと思わない。次の点・機会まで待つ。流れている時間や他者を信頼する。音楽は流れ。

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★ 窮屈な大人

松下先生は指揮だけにとどまらず、合唱やコンクールについてもお話されました。

日本人は技術を見せようとする。そして絶対一位を決めようとする。しかし、海外に目を向ければ様々な価値観が存在していて、価値は絶対ではない。

定量できないものがある。それは表情。Artistic Impression。しかし、日本の練習現場では、ストイックの余り、削がれていってしまう情感がある。

音楽はまずリズムから生まれた。

そして、メロディーが生まれ、最後にハーモニーがついた。日本人はハーモニーに意識を向けがちだが、頭だけでなく、下半身から沸き上がってくるリズム・身体で表現することも忘れてはいけない。

頭で考えて思考でモノを言う大人が多い。しかし、そこに表情がない。もちろん論理は大切だけど、人の心を揺するのは技術だけではない。技術だけの演奏はつまらない。

表現とは?

失敗を恐れて表現しない子供達。クリエイティブはアイデアから生まれる。アイデアに失敗は付き物。しかし、指摘を恐れて、前に出ようとしない。

歌声も後から続いて出る。

「みんな一緒」が価値観までも同質化させて排他的に機能する。それらの子供達を作り出しているのは、思考に意識が行き過ぎていて、身体を忘れている大人達・・・。

そのような言葉が印象に残りました。

もちろん、先生の言葉を受けてぼくの解釈も含まれています。とにかく、思考と身体のバランスについてメッセージを頂いた講座でした。

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合唱指揮者は、そして合唱団は生涯をかけて取り組むに値する営みだと思いました。

合唱指揮を追求するとは、音楽に関する造詣を深めて技術を習得するだけでない。

哲学や美学を持ち、人間を愛し、可能性を示して、社会に意思を示す。優れた合唱指揮者は音楽の枠を超えている。

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二日目のお昼に鑑賞した、台湾・日本・中国の3つの児童合唱団の演奏に涙が出ました。

子どもたちと0から音楽を始めて、耳を作り、声を作り、集団を作り、音楽を作る。

なんという営みなんだと。

ぼくは子供の合唱団を持ったことはないですが、子供たちと一緒に合唱をし続けることが出来たら、どれだけ幸せなのだろう、と羨ましかったです。

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自分の偏ったバランスがチューニングされた三日間でした。

2019年も何らかの形で参加したいな、と思いましたし、松下先生には2時間の講座だけではなく、合唱指揮に関する7日間のサマースクールも開催してほしい、と熱望します。

実行委員の皆様、演奏された合唱団の皆様、モデル合唱団の皆様。

そして、松下耕先生、どうもありがとうございました。

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