ぼくは日々移ろい変わりゆく

おはようございます。今朝は5時30分に起きました。

ぼくはブログを書くときに、事前に「これを書こう」と特に準備しているわけではありません。

その日の朝、自然に降りてきたインスピレーションに従って、文章を書き進めることが殆どです。

だから、今も、この「今も」という文字を打っている時点で、この文章の結末がどうなるかはわかっていません。

でもまあ、とにかく最初の一文を書き始めたら、その文章は「どこか」に流れていくことだけは知っているので、その流れの兆しだけは感じながら、言葉を一言一言付け足していきます。

旅行をしていると、目的地に向かう高揚感と、帰路につく名残惜しさが短い期間で味わえます。

行くときはあんなにワクワクしていたのに、帰る時は「もう終わってしまうのか」という空虚な気持ちになることが多い。

感情の変化。ここにも流れがあります。

人との出会いの中にも、会うまでのドキドキと、別れの寂しさが同時に内包しています。

寂しさを感じるからこそ、また会いたいと思うし、充分に心を通わすことが出来たからこそ、また独りで前に進める。

「今ここ」を意識している限り、そこには必ず何処かに向かっている「流れ」があるはずです。

朝起きて、ブログを書いている今ここは、夜の闇に向かっているし、大切な人との別れは、新たな出会いの始まりに向かっている。

そこには必ず何らかの「流れ」がある。

ずっと同じところに留まり続けているなんてことは、殆どないはずなんです。

さっきまで見上げていた雲は、風によってもうすぐに別の形に移ろいゆきます。

なのに人はなぜ「毎日が同じ」「人は常に同じ性格」と思うのでしょうか。

雲の形が毎瞬変わるように、よく知った「あの人」だって、自分と会う前に心が揺らぐ何かがあったかもしれません。

感覚が停止している。

少し前に、通勤ラッシュ時の品川駅を歩いたことがあります。広い通路を大勢の人達が同じ方向に向かって歩いていました。

もうベルトコンベアのように一定のスピードで進み続ける。

もちろん、日々、働いている人達のおかげでこの社会は成り立っている。ありがたい。でも、一方で、この中に居たら感覚は麻痺していくことも多いだろう、とも思いました。

効率を求めるには良いかもしれません。でも、生産性を考えたら、それはもうロボットでも良いんじゃないか。

「毎日が同じ」「常に同じ性格」とはロボットのことです。

ぼくは、日々移ろい変わりゆきたい。

その日、その瞬間しか味わえない感覚をキャッチしたい。昨日の自分では感じなかった何かを体験したいし、まだ行ったことのない土地に訪れたい。

だから、不安定かもしれないけれども、個人で生きていく「流れ」を選びました。

8月以降の予定は殆ど無い。

でも、秋に大きな「お役目」は控えています。そのヴィジョンだけはある。一つでも展望があれば人間生きていけます。

その見通しに周波数を合わせながら、今日も不確かな毎瞬を、自分の感覚を信じて進むのみです。