【 文章 】これからのビジネスはアートプロジェクトのようにならなくてはならない

200年続いた土の時代を終えて、今年から風の時代に入った、とスピリチュアル業界の中では言われている。

でも、スピリチュアルの中の狭い話ではなく、本当に時代は大きく変わっている真っ最中だと思う。

研究者の山口周さんも『ビジネスの未来』(プレジデント社)という美しい装丁の本の中で「『経済発展』だけをいたずらに目指すのではなく、『より良い社会』の実現に、私たち人間のもっている才能や時間という資源を投入するべき」などの表現をされている。

山口周さんの言葉を他にも引用しておく。

「私たちの経済活動を、『未来のためにいまを手段化する』というインストルメンタルなものから、『いま、この瞬間の愉悦と充実を追求して生きる』コンサマトリーなものへと転換すること」

「コンサマトリーな社会においては、『便利さ』よりは『豊かさ』が、『機能』よりは『情緒』が、『効率』よりは『ロマン』が、より価値あるものとして求められることになる」

「一人一人が個性を発揮し、それぞれの領域で『役に立つ』ことよりも『意味があること』を追及することで、社会の多様化がすすみ、固有の『意味』に共感する顧客とのあいだで、貨幣交換だけでつながっていた経済的発展とは異なる強い心理的つながりを形成することになる」

「私たちの社会は、200年にわたって続いた熾烈な文明化の競争、効率化への強迫から、ついに解放され、さらなる上昇を求められることのない穏やかな高原社会に到達した」

この最後の文章など、まさに風の時代の表現だ。

山口さんは「Business as Art」を説く。

「現代アーティストというのは、(略)彼らは彼らなりの視点で見つけた『どうしても看過できない問題』を彼らなりのやり方で提起し、場合によっては解決しようとしている」

「ビジネスが『社会における問題の発見と解決』にあるのだとすれば、本質的にこれはアーティストが行っていることと同じ」

「これからの高原社会におけるビジネスはすべからく、私たちの社会をより豊かなものにするために、各人がイニシアチブをとって始めたアートプロジェクトのようにならなくてはいけない」

引用し始めたら、これも皆に共有したい、この言葉も皆に共有したい、とついつい多くなってしまった。でも、ここまで文章を読んでくれた方は時代の具体的な変化を理解してもらえただろうか?

ぼくは今、ギターを担いでアーティスト活動もしているのだけれど、山口さんの言葉に乗っかると、ぼくはぼくなりに「どうしても看過できない問題」をぼくなりのやり方で提起している。

それは、皆、対等に生きようよ、公平に機会は与えられようよ、ということだ。

「やりたい」という熱い思いさえあれば、誰もが皆、スポットライトが当る社会をつくっていきたい。

性別・年齢・職業・年収・国籍・フォロワー数・障害など・・・に関係なく、誰もが皆、尊い存在で、対等に関わりあう。そんな社会を作って行きたい。

その手段として、DAISUKE HASHIDUME LIVETOUR という取り組みをしているし、10月8日は神奈川県の相模大野で【 虹龍ライブ! 】という「アートプロジェクト」も実施する。

ただ音楽イベントをやろうよー!ということではなく、そこに深い想いや熱い思想を込めるつもりだ。

今朝、山口さんの本を再びパラパラとめくって、改めてそんな気持ちが自分の内側から沸いていきた。

2021.08.31

【 橋爪大輔 出演情報 】

愛知県豊川稲荷(09/05)
京都(09/12)
神奈川県相模大野(10/08)

【 橋爪大輔の商品 】

ブログ講座
カードリーディング

【 文章 】現場で生まれた熱を冷ますな!

最初からガチガチに【 計画 】されていると、その瞬間に生まれてくる「アイデア」や「閃き」が育つ隙間は無くなりやすい。

一方で、何も決まっていない【 無計画 】の度が過ぎると、ゴールが見えにくくなり、目標を達成する前にプロジェクトは霧散する可能性がある。

だから、計画と無計画とのあいだに生まれる丁度いい【 遊び 】のエリアが「広い」か「狭いか」によって、そこに関わる一人一人の自主性は自ずと変化するはずだ。

そして、ぼく自身は極めて「無計画」に近いエリアで物事に取り組むことを愛している。そのほうが、現場でワクワクするし、物事がダイナミックに立ち上がり、熱を持って膨らんでいく感じがするからだ。

そういう意味でも、昨日、開催された木山直子(もくざんなおこ)さんの講演会は面白い取り組みだった。

木山直子さんの初公演を西宮北口で開催

今回、主催としてこのイベントに関わったのだけれども、お客さんを募集する時に「観客」だけでなく「スタッフになれる権利」を有料で販売した。

ぼくの中では初めての実験だ。

結果、四人の方が購入してくれたので、当日はリハーサルが始まる13時に合わせて、スタッフの方々は現場に入ってもらった。

13時の時点では、その四人に決まった「やること」は用意されていなかった。

もちろん、漠然と「受付をしてもらおう」とか「写真撮影をしてもらおう」みたいなことを考えたりはしていた。しかし、事前に役割分担して、意思疎通して、みたいなやりとりはしていない。

プロジェクトの規模が大きくなってきたら、そういう行為は必要だろうが、今回に関しては即興的にコミュニケーションを取った方が面白いはずだ。

・・・と、文章には書いてあるが、そこまで何も考えずに当日を迎えている。というか、ぼくは大体においてそんな感じだ。当日を迎えるまで、殆ど何も考えていない。

しかし、その日を振り返ると結果的に必然の流れが起こり、必然の行動をとっていた、みたいなことはよくある。

例えば、昨日に関しては、何故か全身黒い服を着た。

ぼくは普段、上は白い服を着る、と決めて毎日同じ服を着続けているから、そんな変わった行動を取るのは多分一年ぶりぐらい。

右下に座っているのが全身黒の橋爪大輔

最初は「今日は特に出番もないし、半分、プライベートみたいな感じだから、いつもと雰囲気を変えて、そういえば一度も着ていない服があったなー」みたいな軽い気持ちで黒のワントーンを選んだ。

結果、ぼくは13時ごろから猛烈に「演出」「舞台監督」ポジションのスイッチが入り、バリバリとスタッフの方に指示を出させてもらい、裏方のトップの役割を担っていた。

裏方といえば黒。ピッタリの結末になった。・・・とまあ、話がズレてきたので本筋に戻すと。

13時の時点で、有料スタッフの方々に決まった役割は無かったのだけれど、リハが始まると次々に「人手が欲しいタイミング」が訪れた。

例えば、開場中のBGMから開演のBGMに切り替える「音響」さんのような役割。

本番中に「あ、このタイミングでもう少し照明を暗くしたいな」と思いついたので、会場の明かりを消す「照明」さんのような役割。

舞台上の演出で、椅子を出したり、譜面台をハケたりする人・・・などなど。

もちろん、こういうことを専門で仕事にしているプロの人達もいるんだけど、それとはまた別の世界の話で。

BBQでお肉を焼くように、皆で「舞台を作り上げる」というのは極上のエンタメになる。そんなことを昨日は確信した。

その瞬間の雰囲気と文脈で、一人一人がジャズのセッションをするように関わりあう。

そこに必要なのは「やりたい」「関わりたい」という想いだけだ。技術は関係ない。そして、上手いか下手か、キチンとやれるかも些細なことだ。

想いがあれば、熱は混ざり合い、気温が上がり、そこに生まれた粒子は拡散する。

その瞬間にしか生まれない熱をいかにキャッチして、温め、伝播させるか。ぼくはそんなことを現場でやっている時に生き甲斐を感じている。

どこまでも現場が好きだ。

2021.08.30

【 文章 】全くお客さんは集まらなかった

2013年の12月に仕事を辞めて、2014年03月に個人事業主として開業届を出した。

最初にやってきた仕事は「ホールでコンサートをする企画」だ。

当時、ぼくはワークショップデザイナー育成プログラムという、ワークショップのデザインを学ぶ講座を受講していて、そこで出会った音楽家の人達と「音楽でワークショップをする」グループを作って活動していた。

そのグループにホールから企画がやってきたんだ。

※ おそらく、今、振り返るとオーナーさんは何かの勘違いをして仕事を依頼したんだと思う。ありえない条件でのオファーだったから

それで、ぼくは当時、見積書の書き方や領収書の作り方も知らないまま、オーナーさんと打ち合わせしたり、出来たチラシをポスティングしたりしていた。

音楽家の人達も、コンサートに向けて結構な時間を割いて準備してくれて、ボランティアで手伝ってくれるスタッフの人達もいた。

でも、結果は唖然。全くお客さんは集まらなかった。辛かったなあ。

それで、どうすれば人を集めることが出来るのだろう?とずっと考えるようになって、色々と調べているうちに藤村正宏さんのマーケティング(エクスマ)に出会った。

それが2016年ぐらい。

藤村さんが壇上で話をしている姿を見て、かっこいい!と思ったし、周りの人達もむちゃくちゃ成果出てる!と思って、ぼくもエクスマで学びたい、と塾生になった。

それからSNSをコツコツコツコツ活用するようになって、今ではSNSを通じて幸せな人生を歩めていると思う。

でも、ここからが本番だ!とも思う。

2021年で現在35歳。

これからもSNSでは自分の想いややっていきたいことをどんどん表現していく一方で、今よりも、更に社会に近い仕事をしていきたい。

暖かい繋がりが広がって行けば楽しいだろうし、出来ることが増える。

そんな感じで、成長して、いつかのホールのオーナーさんにも恩返しが出来る日が来たら嬉しい。

その為に、今日も目の前の一日をコツコツとやっていくのみ。

2021.08.28 福岡にて

【 橋爪大輔 出演情報 】

愛知県豊川稲荷(09/05)
神奈川県相模大野(10/08)

【 橋爪大輔の商品 】

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SNS活用講座
合唱ワークショップ

【 文章 】遠回り人生

思惑違えも多々あれど、それが人生と言うものなのでしょう。

三重大学に入学して、将来は小学校の先生になりたいと思っていた。

結局、学力が足りずに滑り止めで合格した京都の佛教大学に入学。

一回生の頃はまだ真面目に出席していたが、だんだんと気持ちも緩んでいき、授業に行かずにフラフラと過ごしていた。

そんな時によく通っていたのが烏丸にある京都シネマ。

そこで、昼間から是枝裕和監督のドキュメンタリーを観たり、西川美和監督の「ディアドクター」を観たりして過ごしていた。

下宿先の近くに弁当屋さんがあって、夜に唐揚げ弁当を買いに行くと、いつも一つおまけをしてくれるおじさんがいた。

ずいぶん気前が良いなあ、と毎回思っていたのだけど、いつの間にか気づけば閉店していた。

せっかく文学部に入ったんだから、物語を読もう、と思って、学生の頃は図書館で近代文学に触れる努力はした。

森鴎外、太宰治、夏目漱石、芥川龍之介・・・今ではもう殆ど覚えていないのだけれども。

ハローワークで劇団員募集の求人を見つけて、大阪に引っ越した。

事務所に届いている無料招待券を片っぱしから貰い、大阪の劇場によく通った。名も知らない劇団の公演も見たし、井上ひさしや三谷幸喜の演劇にも行った。

劇団の人達に嫌な顔をされながら、二週間ぐらい休みをとって、ハンガリーに行ったこともある。

セゲドで国際合唱指揮セミナーが開催されていて、海外で指揮の講習を受けたいなーと思ったら、もう参加申し込みをしていた。

振り返れば、色々な人達を呆れさせてきただろうし、がっかりさせてきただろう。

遠回りしてきたと思うし、今もまだ絶賛遠回り中なのかもしれない。

それでも、この道草を進んでいけば、いつか花が咲く時がくるのかもしれない。

諦めずにいこう。

2021.08.21 新千歳に向かう関西国際空港にて

【 文章 】ギターの弾き語り

ぼくがギターを弾き始めたのは確か中学校2年生の頃。

友達のお父さんからギターを貸してもらうことが出来て、見よう見まねで触り始めた。最初は何から弾き始めたのだろう?覚えていない。

当時、19(ジューク)が好きで、そこから、ゆずを聴き出し、コブクロも聴いていた。ゆずは高校生の頃にライブにも行ったことがある。

19やゆずやコブクロはジャンルで言うとフォークソングになるのかな?よくわからない。だから、いまだにぼくは簡単なコードしか弾くことが出来ない。

ちなみに小学生の頃は母親に連れられて小田和正のコンサートによく行ってた。回数で言うと、少なくとも子供の時に3回は行ったことがあると思う

高校を卒業する時に、おばあちゃんが卒業祝いだったか大学の入学祝いだったかをくれた。その10万円を握りしめて、すぐに島村楽器でMartinを買ったら、親に呆れられたような思い出もある。

ちなみに、なぜMartinを選んだかというと、19のケイゴが使っていたから。

自分はすぐにモノを断捨離してしまうタイプなのだけど、そのMartinだけは今もなお、ずっと傍にある。17歳ぐらいで買ったから、そろそろ20年ぐらいの付き合いかな?

でも、ずっと弾いていたわけでもなく、20年のうち、17年ぐらいはギターケースの中に閉まっていた。

大学一回生の夏ぐらいまではよく触っていたと思うが、大学に入って合唱団に入り、合唱をするようになってからは「ギター弾き語り」みたいなことはやらなくなっていった。

合唱団の部室の近くにフォークソング部の部室があって、その部室の前で弾き語りをしている人がいたけど、合唱を始めたぼくは「音程が合ってないんだよな」と冷ややかな目線でその人を見ていた。

そんなぼくが、今、再びMartinを担いで、自分の身一つで歌を歌い始めているのだから、人生ってどうなるかほんとわからないよな、と思う。

自分に対して「音程が合ってないんだよな」とつっこみながら。

中学二年生の時にベッドで横になりながら、夜な夜なギターを抱いて触っていた。音が響かないように、弦とボディの間にタオルを挟んでポロポロと弾いていた。

35歳の今、子供に戻ったような気持ちで、歌を歌っている。

2021.08.16 横浜にて

【 文章 】このままじゃ頭打ちするな、と思った話

今年の2月に人生で初めて「レコーディング」を体験した。

東京の世田谷の大きなスタジオで、沢山のマイクの前でオリジナル曲の収録をした。

きっかけは、繋がりを通じて、エンジニアの田村さんという方を紹介してもらえたのが始まり(えーちゃん、ありがとう!)。

話を聞くと、田村さんは森山直太朗の最初のアルバム『さくら』を製作されたそう。凄い。

そんな素敵な方と出会えたのだから、ここは一つ、制限を取り払ってものづくりをしてみたいな、と思った。完全に保証のない実験だ。

レコーディングにいくら製作費がかかるのか?これを気にせずに取り組んでもらう。

田村さんがワクワクするようなスタジオを選んでもらいたいし、関係者からの見積もりには、値切らずに全て「Yes」で答える。

その方が、田村さんも皆も、気分良く仕事してもらえるに違いない。

その結果、合計140万円ぐらいの経費がかかることになった。もちろん、そんなお金はない!

ということで、クラウドファンディングで支援を求めて、ありがたいことに目標金額を達成することが出来た。

応援してくれた方々に心から感謝。

※ 出来上がったCDは100枚限定で2万円で販売中。「制限のない世界で生まれた音楽」を良かったら手に取って聴いて欲しい。その売上で次はミュージックビデオが創れたら嬉しい!

で、ここからが話の本題。

世田谷のスタジオでレコーディングをしていて、ぼくは「このままじゃ頭打ちするな」と思った。

歌っても一発でOKにならずに、何度も録り直しをする箇所が出てきた。編集によって音程を修正されている部分もある。

「これはこのままのやり方で歌い続けても、次のステージには行けないな」

そう思ったので、レコーディングが終わって大阪に帰ってすぐ、ぼくはGoogleで「ボイトレ 大阪 プロ おすすめ」と検索した。

そして、良さそうなHPを見つけて、そのままの勢いで体験レッスンを申し込み、3月から週一回のペースでボイトレを重ねて、今、4ヶ月経った。

「やはり導かれているなあ」と思ったのは、後でトレーナーに話を聞くと、なんと、橋爪大輔の存在を前から知っていたそう。

YouTubeでぼくの動画を見たことがあったそうで、だから、体験レッスンの問い合わせが来たときは「まさか」と思ったらしい。

そんなことある!?

必要な時に必要な人と出会わせてくれる。

ボイトレを続けていることで、レコーディングをしていた時よりも、歌は確実にパワーアップしている。

技術を上げるには単純に努力と継続だ。毎週の予定に、もう「トレーニング」する時間をスケジュールとして確保しておく。

そうすると、自分のその時のモチベーションに関係なく、自然と上達していく。

誰にでも才能はある!

その才能を活かすために、努力を積み重ねていく。そして、下手くそなうちから人前でどんどん披露していく。

ぼくは「歌う」活動を通じて、そんな感覚を身につけることが出来た。

このままボイトレを続けて、誰が聞いても「プロだね」と思ってもらえるレベルまで引き上げていきたいと思う。

成長するって楽しい。

写真は世田谷のスタジオにて

2021.08.14

CDの詳細はこちら

【 文章 】誰もが皆、自分の物語を持ち、誰もが皆、力のある存在で、誰もが皆、輝いている

去年の秋、ぼくは神奈川県の相模大野にある、グリーンホールという舞台に立った。

橋爪大輔の名前でライブを開催したのだ。

アーティストとしてホールで歌うのも初めての経験だったし、マイクで歌うことも慣れていない。ギターをアンプに通して弾くことも慣れていない。

今振り返ると、そんな状態でよく舞台に立ったな、というぐらいザ・初心者状態だった。

そんなぼくを舞台にあげて神輿を担いでくれたのが、大澤美樹さん(ミキティ先生)。去年の経験がなければ、今のぼくはいない。ミキティ先生に心より感謝

去年、本当に有難い経験をしたのだけれども、一つだけ悔しかったことがあって。

それはぶっちゃけると客席がむっちゃ少なかったこと!

300名は入る客席に、確か20人ぐらいしかいなくて、それはまあ閑散としていた!

嗚呼、こうやって書いているだけで恥ずかしい。当時、これがぼくの実力なんだなあ、と少し情けなくもなった。

一方で、同時にこういう考えも浮かんだんだ。それは「諦めなかったら失敗は失敗でなくなる」って。

去年の時点で「だめだ、自分には力がない」と思ったらそこで試合終了。ぼくのアーティスト人生は「結局は趣味程度」で終わっただろう。

でもさ、ぼくは周りから言われているんだ!「武道館が見える」って。

その未来の映像を現実にしてみたいじゃないか!1万人の(仲間の)前で歌を歌うことが出来たら、なんて気持ちが良いんだろう。

その未来に意識を合わせ続ける。

だから、諦めずにライブが終わった翌日。すぐにグリーンホールの事務所に行き、2021年10月8日を予約したんだ。

それが二ヶ月後にやろうとしている「虹龍ライブ!」だ。

諦めなかったら失敗は失敗ではなくなる。諦めなかったら過去の失敗はネタになる。

これはぼくの物語だ。

虹龍ライブ!に参加する貴方はどんな物語を紡いでくれるだろうか?

一緒に10月8日を共同創造してくれたら嬉しい。

誰もが皆、自分の物語を持ち、誰もが皆、力のある存在で、誰もが皆、自分の意思で動き、誰もが皆、輝いている。

そんな虹のように多彩に輝く場を共同創造してくれたら嬉しい。

2020年 相模大野にて

2021.08.13

【 文章 】「書く」という行為を通じて、理想をどんどん現実化してみたい

ここ最近は毎日のようにこうやって少し長めの文章を書いているのだけど。

それはなぜかというと、今、ぼくが学んでいるマーケティングの塾(エクスペリエンス・マーケティング・通称:エクスマ)で、藤村正宏さんが、

「ブログは資産になるから書いたほうがいい」という話を、前回の講義でしてくれたからだ。

情報にはフローとストックの二つがあって、TwitterとかFacebookは投稿がどんどん流れていく。一年前のTwitterの投稿を見にいくのってちょっと大変。

一方でブログやYouTubeは過去の投稿にアクセスするのが簡単。

ブログを一本書くと、URLが一つ生まれるから、その投稿を積み重ねていけば、それは情報資産になる。

そんなことを藤村さんから教えてもらった。

もちろん、この話は五年前に既に聞いてて、例えばぼくは2015年ぐらいから2017年ぐらいまでの二年間、既に毎日更新はしていた。

ブログも既に1000本以上のストックがある。

けれども、その上で、今、再び、投稿を一つ一つ積み重ねていこうじゃないか、という気持ちになっている。

過去に毎日更新していた時と、再び投稿している今で、決定的に違うことは何か。

それは「 橋爪大輔の世界観 」を文章に色濃く表現していこう、という気持ちがあることだ。

普段、橋爪大輔はどんなことを考えているのか?何の為にそのイベントをやっているのか?

これから何をしようとしているのか?今までどんな人生を歩んできたのか?

そういう価値観や美学、哲学のようなものを率直に書き連ねていきたい。

だから、あえて丁寧語は使わずにこんな感じの文体を採用している。このほうがより自分の内側が剥き出されるように思うから。

もっと自分のことを皆んなに知ってもらえたら嬉しい。そして、自分がやろうとしていることに共感してもらえたら嬉しい。

自分と関わってくれている皆が幸せになったら良いなあと思う。

自分一人でも出来ることは、まだまだある。こんなもんじゃない。失敗を恐れずに、無謀だと思われるようなこともどんどんやっていこう。

毎日をワクワクしながら過ごしたい。まだやったことのない体験をたくさんしてみたい。信じられない未来を創造してみたい。

「書く」という行為を通じて、理想をどんどん現実化してみたい。

藤村正宏さんと 2016年 滋賀の雄琴温泉にて

藤村正宏さんのブログはこちら

2021.08.12

【 文章 】ぼくが考える幸福は【 人との繋がり 】合唱ワークショップを開催中

2018年の冬。

きみちゃんという女性が「合唱をやって欲しい!」と言ってくれたおかげで、ぼくは合唱ワークショップをやり始めた。

ぼくは2014年に個人事業主として開業届を出した。肩書きは「指揮者」。

大学時代に合唱団に入団し、学生指揮者を経験したことがきっかけで、合唱の指揮って楽しいなあーと思った。

ある時、NHKのドキュメンタリーでイギリスの若い指揮者(ギャレス・マローン)が合唱を通じた地域活性とか、合唱を通じた職場のコミュニケーションとか、そんな活動をしているの見た。

「なんてかっこいいんだ、ギャレス・マローンは!」

そう思って、ぼくも指揮者としてそんな活動が出来たら良いなあ、と思った。

それで、個人事業を始めるときに「指揮者」と書いて、税務署に提出した。

「何か言われるかな〜」と思ったけど、一瞬でハンコを押してもらって、ぼくは3分で指揮者になれた。

肩書きは自分で名乗っていいんだなあ、と。

指揮者になったものの、仕事はあるわけもなく、いつの間にか自分が指揮者だったことも記憶の彼方に遠のき。

2018年から龍神の存在を知り、スピリチュアルの流れで色んな活動をしていると、冒頭のきみちゃんと出会い、そのきみちゃんが「大ちゃん、合唱をやって欲しい」と提案してくれた。

当時のやりとり

ぼくが何かを始める時は、大体いつも何となく適当にだ。でも、それが後で気づけば活動の本質と繋がっていることはよくある。

きみちゃんが提案してくれたおかげで、2019年は各地で合唱のワークショップを開催することが出来た。

合唱WS 東京
合唱WS 名古屋
合唱WS 大阪

そのまま続くかなーと思いきや、コロナウイルスが2020年にやってきて終了。

そのまま1年ぐらい、合唱の流れはパッタリなかったのだけど、今、再び10月に神奈川の相模大野で開催する「虹龍ライブ!」で合唱をする。

橋爪大輔が7月から月に1回、大阪と福岡と東京に行き、合唱のワークショップをする。

練習する曲は「光」(作詞作曲:才雅)と「I shine」(作詞作曲:備中美文)の二曲。

3回の練習の後、3つの地域のメンバーは相模大野に集まり、一緒に舞台に立ち、声を合わせて演奏をする。

この流れが現実化しようとしている。

すごいことをしようとしているな、とぼく自身は感じている。

それぞれの地域に集まっているメンバーは、例えば福岡では4人とか、小さい規模なんだけど、わずか四人だとしても。

同じ空間に集まり、一緒に声を響かせるというのは、なんと心地が良くて、尊い行為なのだろう、と再確認した。

一年以上、合唱から離れていたからこそ気づいた感覚だ。

ぼくたちは普段は分離している。

ぼくとあなたは違う。性別や職業や環境などで、自分と相手を比べてしまうことがどうしてもあるかもしれない。

しかし、丸いサークルを描き、横に並び合って声を重ねることで、その声の波動の中に溶け込むことが出来る。

その取り組みを、もしも全国各地で行うことが出来たら。地域ごとに繋がりが生まれ、そして、全国でも繋がりが生まれる。

ぼくが考える幸福は「人との繋がり」だ。

借金して破産したとしても笑ってくれる仲間がいるか。仕事がなくてブラブラしてても一緒に遊んでくれる友達がいるか。

勇気を出して新たな一歩を踏み出すときに、声援を送ってくれるサポーターがいるか。

そういうことを合唱でやっていきたいなーと思う。

昨日は大阪の合唱ワークショップの2回目でした。ぼくに指揮を振る機会を与えてくれている参加者の皆、運営してくれているきみちゃん、本当にありがとう!

2021.08.11

【 文章 】言い訳せずに、生ぬるいことで満足せずに、子供が驚くぐらいの遊びを今日も明日も明後日もやっていこうと思う

不登校の中学生・りゅうくんはハッキリとした滑舌で、怖気付くこともなく「高校は通信制の学校を選びたい」と話ししてくれた。

10代で既に「学校に行かない」という選択をしていることが凄いし、自分の未来もキチンと設定していることも凄い。

ぼく自身は高校を卒業するぐらいまでは、自分の本心について自覚的ではなかったから。

学校は行くものだと思っていたし、テスト勉強はするものだと思っていた。

りゅうくんのお母さんのゆりてぃんは、

「今までは他人からどう見られるかで成功かどうかを判断していたけど、自分や関わる人達が喜べば成功だと気づいた」

そんな感想を話してくれた。

ぼくもふと気がつくと、数字のこと(お金・集客・フォロワー数やいいねの数など)で物事を判断する癖がある。

でも、ゆりてぃんの話を聞いて、ほんとそうだよな、と。

自分の中に喜びがあり、関わった人に喜びがあれば、それはもう既にその時点で幸福だよなあ、というような感覚を思い出した。

大勢の中から離れて、自分の感覚を信じて、他人と違う一歩を踏み出すことは誰もが最初は怖いはずだ。

大体の大人はおそらく「それはいけない」と否定してくるだろうし「それをしてどうなるの」と成果を求めるだろうし「元に戻りなさい」と強制してくるだろう。

だからこそ、ぼくのような金髪で、何の仕事をしているのかよくわからない大人は、人生を全力で楽しんでいる姿をりゅうくんに見せたい。

世界は自分の力で創ることが出来るんだという事例を伝えたい。大人って自由で楽しいんだなあ、と。

言い訳せずに、生ぬるいことで満足せずに、子供が驚くぐらいの遊びを今日も明日も明後日もやっていこうと思う。

そんなことを宮島で感じました。

オトナもコドモも本気で遊ぼう宮島合宿』を企画してくれたゆーこん。運営してくれたふりー・つくーるの皆さん、とっても素敵なプログラムをありがとうございました!

2021.08.10 大阪の自宅にて