そもそも、人間というのはネガティブな生き物だそうだ。何かがあると、否定的、消極的に物事を捉えてしまう。

コロナで隔離された。お金がなくて借金している。仕事がない。人間関係がぎくしゃくしている。身体の調子が悪い。

たとえば、これらの現象が自分の目の前で起こっているとして。

この状態に対して、もしも、自分の気分が「悪く」なっているとしたら、エイブラハム(高次の存在)曰く、「その自分の気分が悪い感情によって、更に悪い状況を引き寄せる」という。

人間誰しも、悪い状態を長引かせたいとは思っていない。だったら「悪い気分」を「良い気分」に変換していく作業をするほうが良い。

コロナで隔離されたとしたら・・・

最近、忙しかったけど、ゆっくりと休息出来る時間が確保出来た、とか。他人は迷惑に思っていないどころか、むしろあなたを祝福している、と信じる。

お金がなくて借金している、としたら・・・

まあ、どうせあの世に戻る時は身体一つで帰るのだし、いくらお金を持っていても仕方ないよな。今、手元に所有しているものがなくなったとしても、生きてはいける。自分の周りの人は優しい。自分が困っている時は誰かが手を差し伸べてくれる・・・みたいに思うと、少しはリラックスするかと。

まあ、そんな感じで、その「気分の悪い感情」を真逆に変えていく(リフレーミング)。

そもそも人間はネガティブ思考なんだから、ネガティブな気持ちが湧き上がってくるのは当然の生理現象だと。爪が伸びたら切る。朝起きたら歯を磨く。それと同じように、ネガティブが出たらポジティブに変えていく。

ぼくはここ最近、そんなことをエイブラハムから学んでいる。

そして、ここから先は、更に今、考えている事なんだけど「良い気分」を選択した結果、結局は「悪い気分」になることもあるな、と思っていて。

その場限りの、刹那的な、つかの間の「良い気分」の脆さ、質の低さ、ってないだろうか?ということを考えている。

例えば、夜寝る前にポテトチップスとアイスクリームが食べたくなったとする。

自分を良い気分にさせたくて、自分を満足させたくて寝る前に食べる。その時は確かに満たされて良い気分になる。

でも、翌朝起きると何だか胃の調子が悪い。結果、気分は悪くなる、みたいな。

飲み会で良い気分になってお酒をガッツリ飲んで、その場では楽しいけど、翌朝は二日酔いで吐き気がして気分が悪い、みたいな。

「刹那的に生きる」って「今ここを生きる」と似ているようで、違う気がする。

お酒もお菓子も依存性が高いので、自分としては「食べたい」⇒「したいことをする」⇒「主体的な私」と思っているかもしれないけれど、実は砂糖やアルコールに支配されているのでは?

このあたりが、ぼくが今、どうなんだろう?と興味がある部分。

良い気分への探求は続く。