毎日毎日、来る日も来る日も朝起きたら文章を書いている。

・・・いや、来る日も来る日も、と書いたが、正確に言えばここ三か月ぐらい。ブログそのものは2015年から書き続けているので、かれこれ6年だけど、継続を更新しているのはこの三か月ぐらい。

「継続するって素晴らしい」という考え方がある一方で「今その瞬間の感覚に正直になろう」みたいな考え方もある。

「それって本当にやりたいことなの?」みたいな。

例えば、ぼくは毎朝5時に起きているのだけれども、今朝は朝起きる時に眠たかった。6時からのライブ配信がなければ、そのまま二度寝に突入しただろう。

ちなみに、6時からのライブ配信がなければ、と書いたが、ライブ配信自体も自分で「やろう」と決めてやっていることだ。やめようと思えば明日にでも辞められる。

なぜ眠たいかというと、昨夜は珍しく眠る時間が22時30分ぐらいと遅かったからだ。23時に寝たとして、睡眠時間は6時間。

普段は21時には寝ているので、いつもより睡眠時間が2時間少ない。

昨日は遅く起きていたかった。その瞬間の「やりたい」を選んだ。その結果、朝起きたら「眠い」という結果が生まれた。

「眠い」けど「6時にライブ配信はやりたい」から起きた。

結果、先ほどライブ配信を終えたのだけれども、楽しかった。毎朝やっているけど、今朝はいつもより楽しかった。

なぜかといえば、70人ぐらいの方々が集まってくれたからだ。やはり人が多いと嬉しいし、やる気も出てくる(結局、こうやって自分も数字に自分の感情が左右されている)。

とにかく、楽しくて気分が良くなった。今、良い気分だ。眠たい、という感覚も今はもうない。

さあ、エイブラハム(高次の存在)的には、これをどう捉えたら良いか、それが今のぼくの興味関心だ。

眠たい。寝たい。今日は寝よう。という選択をした場合、その瞬間は良い気分を味わえる。ただし、毎朝のライブ配信はやらずに終わる。

眠たいけど、起きてライブ配信しよう。という選択をした場合、一瞬は気分が良くないけど、結局、今、気分の良い現状を獲得出来ている。

どちらを選んでも正解なのだろう。

寝たことによってライブ配信をしなかった場合、そこに罪悪感を持たなければ「ぐっすり寝れて気分爽快!」という感覚だけでいられる。

「あーあ、継続できなかった」とダメ出しをすると、せっかくたっぷり寝たのに、気分が台無しだ。

だから、どんな選択をしたとしても、自分にダメ出しをしないことが大切なのかも。

そんなことを今朝は考えている。

そして、ぼくの今日以降の選択としては「毎朝のライブ配信は引き続きやりたい」「でも8時間はしっかりと睡眠をとりたい」

だから、今まで通り「21時には寝る」という選択をすることだ。取捨選択。