可能性を信じて真っ直ぐに進もう!神戸元町でバンドライブを開催

2020年5月頃に「よし、弾き語りをやっていこう」と決めて、部屋に飾ってあったアコースティックギターを触りだした。

動機は単純で「君は歌だよ、武道館が見える」とYouTuberのakiko spiritualに言ってもらえたからだ。

「歌っていった先の未来に武道館があるなんて、なんてワクワクする人生なのだろう…」

そう思って、野田洋次郎の「告白」をギターで練習し始めた。

2020年7月に東京でお話会をした時に、イベントの最後に確か一曲だけ歌わせてもらった。告白だったと思う。

まだその時はギターを背負って大阪から東京に向かうのが面倒で(手ぶらが好き)、参加者の人がわざわざ自前のアコギを持ってきてくれていた(感謝)。最初はそんなノリだった。

そこで告白を歌って「歌うの恥ずかしいけど楽しい!」と思えた。沢山、喋らなくても、歌うだけで感覚的に皆と繋がれる。そんなことを思った。

その夜、ホテルで「よし、ライブツアーをやろう!」と決めて、次の日、さっそく「ライブツアーやります!まだ場所も決まってないけど!」と動画を撮ってYouTubeに発信した。

すると、各地で場所を探してくれる人達が現れた。おかげで、その一ヶ月後だったかの2020年8月には、すぐに東京で一回目のライブが出来た。場所はカフェでマイクも何もない。8曲ぐらい演奏したけど、そのうちの7曲ぐらいがコピー曲だったと思う。

曲と曲の間に水を飲むことさえ苦労した。歌って、喋って水を飲む。水を飲んでいる間「間(ま)が持たない!水を飲むって難しいな!」そんなスタートだった。

2021年はギターを背負って各地でライブをした。福岡、札幌、愛知、三重、青森、佐賀、兵庫、神奈川、、、

その先に昨日のバンドライブが待っていた。

自分がもう既に、本来兼ね備えている才能や可能性を信じて、何処まで真っ直ぐに進んでいけるか。夢や目標に向かって、何処まで日々を積み重ねていけるか。ここが勝負なのだと思う。

ぼくは武道館に立つ、という景色を人生で味わってみたい。そう思ったら、そういう体験が出来る。ぼくたち一人一人は誰でも自分の願いが叶えられるんだ、ということを一緒に分かち合っていきたい。

たとえ誰かが、あなたのその夢、叶わないと笑ったとしても、ぼくは信じているよ、頑張る君のことを。

2022年03月27日(日)元町always 橋爪大輔&備仲美文「Together」

惰性的な人生などまっぴらごめんだ

博多に向かう新幹線に乗りながら、この文章を書いている。

朝8時前に新大阪駅に来たのだけれども、既に大勢の人達が何処かに向かおうとごった返していた。駅のホームのスタバにも長蛇の列が並んでいる。

これから三日間を福岡で過ごす。

今日は合唱ワークショップ in 福岡。明日は久留米でのライブにギター伴奏で出演。そして、春分の日の3月21日はイベントで数曲歌う。

旅に向かう朝はいつも高揚感で胸がいっぱいだ。そして、相変わらず旅はいつもあっという間に終わりを迎える。

旅は楽しいし、悲しい。

ラテとサンドイッチを買い、席に着く。

iPadで文章を書こうとしても、FreeWifiがいっこうに繋がらないので、仕方なくスマホでポチポチと文字を打っている。

いつもはキーボードでカチャカチャと書いていた。でも、今、こうしてスマホでタイピングしても、問題なく文章は綴れる。

昨夜、Instagramのライブ配信に出演させてもらったが、それもスマホ一台で配信が出来た。

ぼくは普段、パソコンを使ってYouTubeでライブ配信をすることが多いのだけれど、配信するにあたって結構面倒な手順を踏んでいる。いくつかのスイッチをパチパチとONにして、カメラのピントを入念に合わせる必要がある。

そもそもパソコンの電源を立ち上げるのもよく考えたら手間だ。

動画編集をするので、まだパソコンは手放せないな、と思うが、ドキュメンタリーを作っていなかったら、もうスマホだけあれば本当はそれで充分なのかもしれない。

旅に出るときは必要最低限のものしか持たない。それは荷物もそうだが、ありさまもそうだ。

本来無一物。

存在するものは全て空であり、我がものとして執着すべきものは一つもない。もともとは何も無かった。

過去の蓄積にこだわると、いつの間にか身動きが取れなくなる。

今までの成功なんてぶち壊してしまえ、と思う。ちっぽけな実績やプライドにしがみついて、何を誇らしげにしているのか。

世の中の殆どの人は自分のことなんて知らない。宇宙の塵のような存在だ。

人に好かれようと思わずに、孤立しても良いと腹を括り、衝動を貫く。

惰性的な人生などまっぴらごめんだ。

文章を書くことについて

文章を書く時って「最初の一行に何を書くか」が決まりさえすれば、そこから先は文字は勝手に走り続ける、という感覚がある。慣性の法則のように。

抵抗せずに放っておけば、文章はどんどん内側から出てくる。

じゃあ、なぜキーボードを打つ手が止まるか?というと、そこに思考が挟まってしまうからだ。

「こんなことを書いたら周りからどう思われるだろう?」「さすがにこれは恥ずかしくて書けないなあ」

そういう意識が邪魔をし始めると、途端にブレーキがかかってしまう。

それは何も文章を書く時だけではなく、日常の選択でも同じことが言える。

○○に行きたいと思った。心は「行きたい」を欲している。

でも「じゃあお金はどうしようか?」「きっと時間がないだろうな」「そこにいくことで、他人からどう思われるだろうか?自分にどんなメリットがあるの?」

こういう「抵抗」を感じると、行動にブレーキがかかる。そのまま望み通りに進めば、魂が求める方へ導かれるのに。

願望が生まれたら抵抗しない。もしも望まない方向に進んだらどうしよう?みたいなことに意識を向けない。

導きに従う。

いつも必ず導かれている。大丈夫、そのまま行こう。他人から言われることなんて気にするな。私は私が求める道を進もう。

文章のことを書いていたのに、気がつけばエイブラハムの教えになっている。

昨日は「ブログ教室」が開催された。

ブログ教室というタイトルだったけど、InstagramでもFacebookでもnoteでも文章は書けるし、ブログというより「文章教室」で良いと思う。

プロのライターになるなら話は別だけど、ぼくたちが文章を書く時はシンプルに「本音を書く」。ただただそれだけで素晴らしい。

今、自分が感じていること、思っていることを、率直に文字に落としていく。すると、まず自分自身が「私はこういうことを思っているんだな」と自覚出来る。

格好良く書く必要もなければ、飾る必要もない。

ただただ自分のシンプルな想いを綴れば、それだけでもう美しい、とぼくは思う。

文章を書く、って全然特別なことじゃなくて、気軽に自分の世界を表現出来る、愉快な創造の時間だ。

一人一人に自分の世界がある。

貴方の世界を感じたい。ぜひ、日常の中に文章を書く、というワンシーンを取り入れてみよう!

今年は去年以上に楽しい日々がやってくる

03月27日に神戸の元町で、人生で初めてとなる「バンドスタイル」でのライブを開催する。

それに向けて、今、コツコツと練習を積み重ねている。

おかげさまで、既にチケットは完売。元町alwaysというライブハウスでするんだけど「そこで38席集めるのは凄い」と、バンドメンバーのけんちゃん&たくちゃんが褒めてくれた。

「北は北海道、南は福岡から集まる」というとさらに驚いてくれて嬉しい。

今回の発起人は作曲家でピアニストの備中 美文さん(びんちゃん)。

「自分が作った曲をバンドでやりたい!」という願望を持った。びんちゃんはこれまでぼくに「StarSeed」と「I shine」の二曲を楽曲提供してくれている。

「I shine」は昨年、プロによる編曲も行われ、音楽作品としては極めて高いクオリティのアレンジに仕上がっている。

ベースのけんちゃんも「I shineに関してはもう何もいう事がない、凄い」と言ってくれた。

プロのアレンジによってずっとバンド譜はあったのだけど、それが一年経った今年、ようやく皆に生音として聴いてもらえることになる。

「StarSeed」と「I shine」に加えて、今回、このライブの為に新たに2曲が誕生した。それがライブ名にもなっている「Together」と、マフラータオルを振り回す為に生まれた「Yes!」だ。

Togetherはなんて美しい曲なのだろう、と歌っていて思う。というか、びんちゃんが作る曲達はどれも美しい。

元気でポップなメロディなのに、どこか寂しさが混ざっている。

そんな4曲を、充分に伝わる形で、当日、届けたい。

その為には1にも2にも練習である。毎日毎日、繰り返し、歌唱することで、びんちゃんの曲をしっかりと自分に落とし込み、心から歌えるように仕上げるのみだ。

あっという間に暖かい季節になった。今年は去年以上に楽しい日々がやってくる気がしてならない。

喜びを分かち合い、互いの人生を励まし合い、未知に向かって挑戦する。

一人じゃつまらない。

貴方と一緒に経験することが何よりの喜びだ。一緒に色んな景色を見たい。感動を分かち合いたい。

★★

一人で暗い道を進めなくても

Together
手を取り歩く

出会えたことは偶然じゃない
共に夢の舞台に立とう

世界は優しい

ぼくがドキュメンタリーを作り始めたのは5年ぐらい前。

SNSを勉強して、そこで「誰か一人に向けて発信しよう」と思うようになった。

それで、自分の近くにいる人の取り組みを撮影&編集して、YouTubeで公開し始めた。最初はスマホで撮影して、スマホのアプリで編集した。映像制作は誰にも教わっていない。

家族も両親も「この人は一円のお金にもならないのに、一体、何をやっているのだろう?」と唖然としていたと思う。お金にならないどころか、交通費や何らやらでむしろお金はかかった。

ただただ、ドキュメンタリーを作るのが純粋に楽しかった。一本作るたびに、レベルアップする音が聞こえた。

しかも、その出来上がった動画は必ず一人には届く。被写体として写っている相手だ。その人は喜んでくれるはず。これを積み重ねていけば良いだけだ、と呑気に考えていた。

そんな感じで、2016〜2017年の2年間で、確か20人ぐらいのドキュメンタリー映像を作ったと思う。

その後「企業の紹介動画を作ってほしい」という依頼がきて、6社ぐらいのドキュメンタリーを制作した。

それがぼくのドキュメンタリー作家としてのささやかなキャリアだ。

2020年から「歌う」流れがやってきた。

だから、カメラを構えて映像を創る、という取り組みからすっかり離れていたのだけど、先日、横浜に行って久しぶりにSONYのハンディカムを回した。

あこちゃん、というアーティストが人生で初めてレコーディングに挑戦する。

最初、その日は橋爪塾の授業が入っていたので「あこちゃん、頑張れー」という感じだったのだけど、何がきっかけだったか・・・「ドキュメンタリー作りたいな」と思った。

もちろん自費だし、何なら、ぼくはあこちゃんに応援のお金も払っている。「この人は一体何をやっているんだろう」の再来だ。

それでも、自分がやりたいなーと思ったんだから、実現に向けて動いてみる。塾生に授業の日程変更が出来ないか相談したら、快く許してもらえた。ありがたい。

ぼくは撮影するにあたって、何のプランも考えない。その現場に行って、興味深く感じた瞬間を細切れに撮影していく。

その日はスタジオに向かうと、桜?梅?の花が咲いていたので、そのカットから撮ることにした。

後は、自我を捨てて、ただただ流れに身を委ねる。すると、手元に2時間程度の映像素材が集まった。

それを大阪の自宅に帰り、パソコンで編集していく。

2時間の映像素材がある、ということは最低でも編集に2時間はかかるということだ。いや、もっとかかるんだけど。

だから、編集していても、途中で飽きてしまうこともある。そういう動画はつまらない。お蔵入りすることもある。

でも、今回のあこちゃんはずっと集中し続けることが出来た。それは素材に「嘘がない」からだ。

そして、様々なテーマが混ざり合っている。友情、挑戦、応援、揺らぎ、成長、笑い。見返しているだけでぼく自身が面白かったし、編集しながら涙も出てきた。

今回、横浜まで行って本当に良かったと思う。ドキュメンタリー作品はぼくの表現手段の一つだ、と再確認出来た。

こうやって文章を書いたり、歌を歌ったり、そして、映像作品を創ったり、色々な媒体から表現をしていきたい。

世界は優しい。挑戦しよう。そんなメッセージをいつもいつも伝えていきたい。

とにかく獅子舞が好きだった

今、ふりかえると貴重な経験をしていたなあ、と思うことはいくつかあって。

その一つが「獅子舞」だ。

ぼくが生まれ育った三重県津市大里窪田(くぼた)町には石積神社という小さな神社がある。いわゆる、産土神さまだ。

その石積神社には「獅子頭」が祀られていて、三年に一回、窪田獅子舞という神事が執り行われる。

ぼくは小学校二年生の時に「子役」(獅子と一緒に舞う)をやり、高校二年生の時に獅子の中に入って舞う「御頭(おかしら)」を経験した。

とにかく楽しかった思い出しかない。

沢山の大人に甘えていたと思う。太鼓を叩くお兄ちゃん。仕事帰りにスーツ姿でやってくるおじさん。普段、何をやっているのか検討もつかないお爺さん。

獅子舞、という共通項で色んな大人が集会所に毎夜毎夜集まっていた。

確か11月ぐらいから稽古は始まっていて、正月から神事が行われるのだけど、いよいよ祭りが始まってからは、獅子舞を執り行う大人と子供達は、集会所の二階で雑魚寝していた。

朝起きると、御頭のお兄ちゃんに連れられて、その地域の人の家のお風呂を朝から借りに行った思い出がある。

近所の人の家のお風呂を借りて、他人のお兄ちゃんと一緒にお風呂に入る。今、考えると驚きの習わしだ。

そのお風呂場で桶に水を入れて頭からかける、という禊を10回した。

お風呂から出ると、お家のお母さんが飲み物を用意してくれていて、お兄ちゃんはコーラだったのに、ぼくは牛乳だった。

コーラ、良いなあ、と思いながら牛乳を飲んだ。

高校二年生で御神体の中に入り、獅子を舞う御頭をした時は、自分なりに舞の技術をあげようと、夜の稽古をビデオカメラに撮った。

日中に自宅で録画を見返して「ここは自分が思ってるより動きが変だな」みたいなことをしていた。

とにかく獅子舞が好きだった。

神事が終わり、集会所に通う日々が終わると、毎晩の練習がなくなり、ポッカリと穴が空いたような気分になった。いわゆるロスというやつだ。

獅子舞には美しい記憶しかない。大人達は酒を飲み、笛を吹き、太鼓を鳴らして唄を歌った。

ぼくは大人達に見られながら芸を見せる、という営みに喜びを感じていた。

今、結局、大人になっても同じことをやっている。歌の練習をする。その様子をスマホで撮って改善する。ライブでお客さんに成果を見てもらう。

子供の時に感じた喜びを、努力を、興奮を、味わいたくて、コツコツと体験し続けている。

今は牛乳ではなく、水を飲むことが多いのだけれども。

舞台は静寂に包まれている

ある日は【 夕方から劇場で仕込み 】というスケジュールがあった。

学校や仕事を終えて、世間の人達が帰宅する頃の電車に乗り、劇場に向かう。ぼくは24歳からの四年間、大阪で子供達に演劇を見せるプロの劇団で働いていた。

劇団はハローワークで見つけた。

大学を卒業した後も定職に就かず、ブラブラとしていた時期だった。「就職がしたい」と思い、職探しに行くと「劇団員募集」をたまたま見つける。

「劇団員なんて仕事があるのか」と胸がドキドキした。

その要項を受付のおばちゃんに持っていくと「ここはやめておいたほうがいい」みたいなことを言われたような気がする。でも、そんなことはどうでも良かった。

とにかく社会で働きたかった。そして、何だか異様な光を放つ「劇団員募集」にずっとドキドキしていた。

入社して一年経ち、二年経ち、気づけば「仕事に行くのが嫌」な自分に変化する。

行きたくない。

色々な要因はあったと思う。最も大きな理由は、もしかしたら・・・「飽きた」のかもしれない。

たとえば、新しい作品の稽古に取り掛かっても、殆ど自分に権限がない。

作品選び、脚本、演出、役者への演技指導…何でもかんでも全て先輩が決める。こちらは言われるがままだ。

新人なのだから当然かもしれないけど、それでもぼくは出来るなら「演出」もやってみたいと思ったし、自分の感覚で好きに演技をしてみたかった。

もちろん、劇団のおかげで様々な「職人技」を身につけられたことは大きい。

例えば、舞台と客席の「間(ま)」の取り方。

「橋爪、笑いの波を待つんや」と一年目に教えられた。いかにも大阪の劇団らしい。

「笑いというのはな、波がある。笑いが起こっている一番大きなところで次の台詞を言っても、子供達にはその台詞が聴こえないやろ。だから、波がおさまりそうなところまで待つんや。そのタイミングでスッと台詞を入れるんや。」

そういう、今となっては金言となるような言葉の数々をぼくは劇団員時代に教え込まれている。

それでも、当時は仕事に行きたくなかった。もう辞めよう、もう辞めよう、と思いながら現場に向かう。

劇場に着き、トラックから大道具を舞台に搬入する。劇団員が現場でする最初の仕事は荷物を運び入れることだ。

とくに「新人は誰よりも早く動きなさい」と教えられていたので、先輩が一往復する間に、ぼくは二往復、三往復することを心がける。だんだんと思考はどこかに飛んでいく。

舞台は静寂に包まれている。

生活音が一切ない。その静けさの中、汗を流しながらただひたすらに荷物を搬入し続ける。

そして、身体を動かしながら「やっぱり劇場が好きだ」という気持ちが湧いてくることに気が付く。

劇場に存在する圧倒的な静けさ。

結局、劇団は4年で辞めてしまったのだけれど、ぼくは今も芸術に携わり続けている。

今度は自分の決定権で作品を創っていく番だ。熱心に指導をしてくれた先輩方に感謝の気持ちを抱きながら。

2022年。

今年は舞台をやろう。

橋爪大輔の一人舞台。東京、札幌、福岡、仙台… 旅するように暮らしたい。劇場を行き来する生活をしたい。

静けさと共に生命を躍動させたい。

いつも透明な心で

ぼくはネガティブだし、孤独を感じやすいし、よく他人と比べて嫉妬もする。

だからこそ、スピリチュアルの考え方に出会えたと思うし、考えを取り入れて実直に実践している。そのおかげで恐れを手放して、自分が信じる道に進めていると自覚している。

人間として生きていると、思わず心を閉ざしてしまいたくなる時は誰だってある。

辛い経験をすることもあるし、心が傷つくこともある。無意識に他人を傷つけることもあるだろう。

けれども、そうだとしても、深呼吸した後は頑なな心を和らげて、もう一度、愛を信じたい。愛に出来ることを信じたい。野田洋次郎のパクリだ。

ぼくたちは子供のようにただ純粋に無垢に生きている。皆、今日を必死に生きている。

果敢に前進していこう。

時間も環境も気にならないほどに。風を切るようにまっすぐに進もう。眠りから目覚め、過去もこだわりも、不安や心配も手を離して。

決してとどまることなく。澱むことなく。いつも透明な心で。

ぼくはどこまでも美しい世界を描きたい

朝5時過ぎに目が覚めました。

「文章を書きたいな」と思ったので、布団から出て、一階の事務所に向かおうとしたら、隣で寝ていた長男の晴(はれ)が「おとうちゃーん」と一言。

ぼくが起きるタイミングで晴も目覚めたようで「一緒に寝たい」と言われて布団の中に引き戻されます。さて、子供の気持ちを振り切って、一階に降りることも出来る。

数秒考えた後、再び布団に戻りました。晴は嬉しそうに体をぼくの腕にくっつけてきます。

それから数分、布団の中でぼーっと過ごしていると、スヤスヤと寝息を立て始めたので、そっと寝室から出ました。

事務所のライトと暖房をつけて、お湯を沸かしてコーヒーと白湯を入れ、アレクサにクラシック音楽をかけてもらいながら、今、この文章を書いています。

貴方は私で私は貴方。

この宇宙世界に存在している全ては本当は一つ。本質的には分離していません。

誰かと誰かが喧嘩しているとします。憎しみあっている。

でも、それは演劇の舞台と同じで、結局「あちらの世界」に戻れば、その喧嘩したもの同士も肩を組み合って「楽しい体験(喧嘩)だったね」と楽屋で乾杯している。

ぼくたちは「感情を味わう」為にこの地球にやってきた、と信じます。「憎む」という体験をも楽しみにやってきました。

嬉しいという気分を味わいたかった。悲しいという気分を味わいたかった。

誰かを好きになる、という体験をしたかった。心の底から嫌悪する、という体験をしてみたかった。

好きも嫌いも、同じ感情です。どちらが正義でどちらが悪、ということもない。「こうでなければいけない」という制約なんて本当は何もない。

人間社会が少しだけ硬くて複雑な為に、あれこれ考えてしまうかもしれないですが、ぼくたちの頭の中の「意識」という宇宙空間は、物質化する前の粒子の波がいつだって伸び伸びと自由に広がっているはず。

どうぞ、貴方のピュアで素直な気持ちを押し殺さないで欲しい。

貴方が望むものに手を伸ばそう。貴方が愛するものを愛して欲しい。貴方は私で私は貴方。全ては繋がりあっている。

もしも「分裂」を望んでいるのであれば、好きなだけその体験を味わえば良い。

でも、本当の平和や一体感を手にしたいのなら、警戒心を解き、心の鎧を脱ぎ捨てることはいつだって出来る。

対立や抑圧を引き継ぐ必要はもうない。分裂ではなく、癒しのエネルギーを注ごう。

ぼくたちは一人一人がアーティストだ。白いキャンバスに自由に絵を描くことが出来る。

どんな絵を描くかは貴方次第。自分の考えと感情で彩ろう。貴方が送りたい人生を描こう。

ぼくは。

ぼくはどこまでも美しい世界を描きたい。

希望に満ち、自分なりの方法で状況に光を照らしたい。地に足を着けて、情熱を持って活動したい。多くの愛を注ぎたい。

物質世界に人間として生きながらも、魂の声にいつも耳を傾けながら、この地球で素晴らしい人生を送りたい。