舞台は静寂に包まれている

ある日は【 夕方から劇場で仕込み 】というスケジュールがあった。

学校や仕事を終えて、世間の人達が帰宅する頃の電車に乗り、劇場に向かう。ぼくは24歳からの四年間、大阪で子供達に演劇を見せるプロの劇団で働いていた。

劇団はハローワークで見つけた。

大学を卒業した後も定職に就かず、ブラブラとしていた時期だった。「就職がしたい」と思い、職探しに行くと「劇団員募集」をたまたま見つける。

「劇団員なんて仕事があるのか」と胸がドキドキした。

その要項を受付のおばちゃんに持っていくと「ここはやめておいたほうがいい」みたいなことを言われたような気がする。でも、そんなことはどうでも良かった。

とにかく社会で働きたかった。そして、何だか異様な光を放つ「劇団員募集」にずっとドキドキしていた。

入社して一年経ち、二年経ち、気づけば「仕事に行くのが嫌」な自分に変化する。

行きたくない。

色々な要因はあったと思う。最も大きな理由は、もしかしたら・・・「飽きた」のかもしれない。

たとえば、新しい作品の稽古に取り掛かっても、殆ど自分に権限がない。

作品選び、脚本、演出、役者への演技指導…何でもかんでも全て先輩が決める。こちらは言われるがままだ。

新人なのだから当然かもしれないけど、それでもぼくは出来るなら「演出」もやってみたいと思ったし、自分の感覚で好きに演技をしてみたかった。

もちろん、劇団のおかげで様々な「職人技」を身につけられたことは大きい。

例えば、舞台と客席の「間(ま)」の取り方。

「橋爪、笑いの波を待つんや」と一年目に教えられた。いかにも大阪の劇団らしい。

「笑いというのはな、波がある。笑いが起こっている一番大きなところで次の台詞を言っても、子供達にはその台詞が聴こえないやろ。だから、波がおさまりそうなところまで待つんや。そのタイミングでスッと台詞を入れるんや。」

そういう、今となっては金言となるような言葉の数々をぼくは劇団員時代に教え込まれている。

それでも、当時は仕事に行きたくなかった。もう辞めよう、もう辞めよう、と思いながら現場に向かう。

劇場に着き、トラックから大道具を舞台に搬入する。劇団員が現場でする最初の仕事は荷物を運び入れることだ。

とくに「新人は誰よりも早く動きなさい」と教えられていたので、先輩が一往復する間に、ぼくは二往復、三往復することを心がける。だんだんと思考はどこかに飛んでいく。

舞台は静寂に包まれている。

生活音が一切ない。その静けさの中、汗を流しながらただひたすらに荷物を搬入し続ける。

そして、身体を動かしながら「やっぱり劇場が好きだ」という気持ちが湧いてくることに気が付く。

劇場に存在する圧倒的な静けさ。

結局、劇団は4年で辞めてしまったのだけれど、ぼくは今も芸術に携わり続けている。

今度は自分の決定権で作品を創っていく番だ。熱心に指導をしてくれた先輩方に感謝の気持ちを抱きながら。

2022年。

今年は舞台をやろう。

橋爪大輔の一人舞台。東京、札幌、福岡、仙台… 旅するように暮らしたい。劇場を行き来する生活をしたい。

静けさと共に生命を躍動させたい。

投稿者:

橋爪大輔

1985年生まれ