今、ふりかえると貴重な経験をしていたなあ、と思うことはいくつかあって。

その一つが「獅子舞」だ。

ぼくが生まれ育った三重県津市大里窪田(くぼた)町には石積神社という小さな神社がある。いわゆる、産土神さまだ。

その石積神社には「獅子頭」が祀られていて、三年に一回、窪田獅子舞という神事が執り行われる。

ぼくは小学校二年生の時に「子役」(獅子と一緒に舞う)をやり、高校二年生の時に獅子の中に入って舞う「御頭(おかしら)」を経験した。

とにかく楽しかった思い出しかない。

沢山の大人に甘えていたと思う。太鼓を叩くお兄ちゃん。仕事帰りにスーツ姿でやってくるおじさん。普段、何をやっているのか検討もつかないお爺さん。

獅子舞、という共通項で色んな大人が集会所に毎夜毎夜集まっていた。

確か11月ぐらいから稽古は始まっていて、正月から神事が行われるのだけど、いよいよ祭りが始まってからは、獅子舞を執り行う大人と子供達は、集会所の二階で雑魚寝していた。

朝起きると、御頭のお兄ちゃんに連れられて、その地域の人の家のお風呂を朝から借りに行った思い出がある。

近所の人の家のお風呂を借りて、他人のお兄ちゃんと一緒にお風呂に入る。今、考えると驚きの習わしだ。

そのお風呂場で桶に水を入れて頭からかける、という禊を10回した。

お風呂から出ると、お家のお母さんが飲み物を用意してくれていて、お兄ちゃんはコーラだったのに、ぼくは牛乳だった。

コーラ、良いなあ、と思いながら牛乳を飲んだ。

高校二年生で御神体の中に入り、獅子を舞う御頭をした時は、自分なりに舞の技術をあげようと、夜の稽古をビデオカメラに撮った。

日中に自宅で録画を見返して「ここは自分が思ってるより動きが変だな」みたいなことをしていた。

とにかく獅子舞が好きだった。

神事が終わり、集会所に通う日々が終わると、毎晩の練習がなくなり、ポッカリと穴が空いたような気分になった。いわゆるロスというやつだ。

獅子舞には美しい記憶しかない。大人達は酒を飲み、笛を吹き、太鼓を鳴らして唄を歌った。

ぼくは大人達に見られながら芸を見せる、という営みに喜びを感じていた。

今、結局、大人になっても同じことをやっている。歌の練習をする。その様子をスマホで撮って改善する。ライブでお客さんに成果を見てもらう。

子供の時に感じた喜びを、努力を、興奮を、味わいたくて、コツコツと体験し続けている。

今は牛乳ではなく、水を飲むことが多いのだけれども。