静かに時を見守る

ここ最近、お昼前に起きることが多い。

本当は早朝に目覚めて、朝からジムに行く、という生活を望んでいるのだけど、気が付けば11時とかになっていて、リビングに降りて、コーヒーを淹れて、バナナを一本食べて、シャワーをして、そのまま13時から橋爪塾、みたいな生活になっている。

でも、これはこれで良いなあ、と思う時もあって。

例えば、寝起きの状態は頭が空っぽになっているから、意識の中に無駄な思考のゴミがない。身体的な体力も回復しているから、その状態で仕事が始まるし、良いパフォーマンスを出せている感覚がある。

なんにせよ、お昼まで寝たのだったら、それはそれで良しとしよう、肯定しよう、祝福しよう、という気持ちだ。

自分にダメ出しをしない。「これはしてはいけない」と罰をつけるから、苦しくなってくる。

そんなことを書くと「自分勝手な人間だな」と思う人も現れるかもしれないが、その人がそう思うのはもうコントロール出来ないことで、仕方がないことだと諦めている。

その人の気持ちを鎮める為に、自分の欲するものを制限する、そんな生き方をぼくは望んでいない。

そう思う人にはそう思わせておけば良いし、あまり積極的に関わりたいとは思わない。

その結果、呆れられて縁が切れることも仕方がない。むしろ、今まで取り繕っていただけだから。

この文章は橋爪塾の授業中に書いていて「希望」をテーマに文章を書く予定なのだけど、どんどん真逆の方向に進んでいる気がする。

・・・つまり、まだ自分自身にも「人の目が気になる」という感覚が残っていたようだ。良い人に思われたいという欲が残っているのだろう。

でも、今回は完全にそれも断捨離出来そう。

雨が上がったら晴れるし、虹も出るし、地も固まる。

だから、トラブルを怖がらない。現象に対して焦らない。ゆっくりゆっくりと状況は自然に丸くなっていくのだから、静かに時を見守る。

謙虚な気持ちを忘れずに、でも、本音に嘘をつかず、日々を在り続けたいと思う。

2022.08.31

壮大なゴールの始まり

今から四年前の2018年に「理系人間を連れて龍神に会いに行ってみた結果…」という動画をYouTubeに公開してから、ぼくの人生は想像も出来ない道に大きく動き出した。

この四年間、沢山の人と出会い、沢山の出来事を経験してきた。中にはすれ違うこともあれば、望んでいない別れもあった。

でも、それらの経験を通じて、他者との違いを知ることが出来た。自分は一体、何が好きで、何を望んでいるのか、にも気づくことが出来た。

おそらく40歳ぐらいまでかけて「不惑」( 迷うことがなくなる )という経験を、この数年で一気に学んだのではないか。

それぐらい、今は「軸」のような物を感じるし、ちょっとやそっとではびくともしない人間関係を周囲の人達と築けていると思う。

下準備は終わった。土壌は耕した。

ここからは壮大なゴールに向かって、種を蒔き、肥料を与え、雨が降ろうが、風が吹こうが、夏の暑さにも負けず、淡々と、望む未来を実現していきたい。

NIJIROCKは「上手い下手関係なく、キャリアのあるなし関係なく、表現しようよ!」というプラットフォームとして、10年の尺度で育てていきたいと思っている。

合唱ワークショップも、少しずつ少しずつ、拡がりを見せている。集まって、身体を使って、声を出して、共鳴し合う。それだけで、気持ちは晴れやかになるし、生きる活力が生まれる。仲間がいる喜びを感じられる。そんな場作りを各地で育んでいきたい。

ギターの弾きがたりも三年目になった。2020年に始めた時よりも明らかに技術は上がっているし、これもコツコツやり続けることで「才能じゃなくて場数」「いつからだってやりたいことをやろう」というメッセージを表現し続けていきたい。

オンラインの私塾・橋爪塾は、やり続けて現在は五期までバトンが繋がっている。2022年の大晦日まで、合計48回の授業をさせてもらうことが出来る。毎回、集中して取り組むことで、唯一無二の「学び合いの場」をより深く築いていきたい。

YouTuberとしても、ここからがスタートだ。以前は動画を上げると1万再生ぐらいいってたけど、今は300回ぐらいまで落ちた。でも、底までいったら、あとは這い上がるだけだ。何度でも立ち上がり、試行錯誤を繰り返し、また復活する、という姿をYouTube活動を通じて皆に見てもらいたい。

毎日毎日、淡々と、コツコツコツコツ、やり続けるのみ。1日の一歩は、誰でも出来る小さな一歩。でも、それを誰も真似できないぐらいやり続ける。それこそが、信じられない場所に自分を連れて行ってくれる。

生きている間に、壮大なゴールを見てみたい。ただそれだけ。

見たい景色はどっちだ

NIJIROCKが終わってから五日が経ちますが、SNSやリアルで、まだその余波が拡がっていて、とにかく嬉しいなあ、という気持ちです。

「一度は夢を諦めたけど、でも、もう一度、理想を叶えたい。自分には力が在るんだ、と感じたい」

そんな人達が輝く瞬間がぼくは好きです。

合唱ワークショップのリーダーのきみちゃんは、高校の卒業式で300人で合唱がしたくてリーダーとして動いたけど、結果、式を見に来た母親から「あんたの声しか聞こえなかったね」と言われたそう。

集団で何かをすることにネガティブな体験をしたきみちゃんが、今、30人の合唱チームで再び歌を唄っている。

デビューを目指して、でも、想像通りには行かなくて、何度も挫折を味わってきたただろう、宇津雄一さんは、

才雅(さいが)に芸名を変えて、作詞作曲家として楽曲を提供したり、司会をして、自身も大トリで歌を歌い、今が一番、楽しい、と語っている。

何よりぼく自身が、ずっと中途半端だなあ、と感じてきたし、まだまだこんなもんじゃない、と思っています。

自分が目指す道に対して、制限を設けず、思い通りの生き方を貫いた時、一体、どんな景色をこの人生で観ることができるのか?

どんなに遠いなと思うような道のりでも、諦めず、目標を掲げ、公言して、粘り強く努力を積み重ねて、一つ一つやり切って行けば、必ず自ら掲げた理想や夢は実現できる。

一歩一歩、一つ一つ、形にしていきます。

今まではパッとしなかったかもしれない。上手くいかなかったかもしれない。やっぱり自分はダメだなあ、と思っていたかもしれない。

でも、誰だって、いつからだって、何だってやれる。生きる喜びを味わうことが出来る。人生を楽しむことが出来る。大切な人達と楽しく過ごせる。

NIJIROCKは「魂のまま自分を表現する力を模索する人達をサポートする場」として、来年も開催します。

そして、この営みが5年、10年と続いて、自然に拡がり続け、結果、信じられないフェスに成長する。その様子を皆で体験することが出来たら、そんな幸せなことはないな、と思います。

2022.08.16

常識を超越する

二日後に神奈川の相模大野で開催する、NIJI ROCK FESTIVAL 2022。

「沢山の人に来場してもらいたい」という想いで【 参加費無料 】にした。当日の様子は橋爪大輔のYouTubeチャンネルでライブ配信もする。もちろん、こちらも視聴は無料だ。

それで「参加無料」と言って告知していると「凄いけど資金はどうしているのか?」という質問があった。

当然、会場費や人件費、製作費など、合計すると大体90万円ぐらいの予算がかかっている。

もちろん、参加する人がどれだけ増えようが、収入は一切ない。だから、常識的に考えると、そういう質問が出てくることは当たり前だ。

でも、ぼくからすると「お金はなんとかなる」という独自の価値観がある。

参加無料を選ぶとき「面白そう」というエネルギーだけを見ていて、その隣に同時に流れている「実際お金はどうするの?」という周波数には意識を合わせていない。

お金はなんとかなる。
お金はなんとかなる。
お金はなんとかなる。

すると、参加無料を選択したことで、思ってもない流れが生まれ始めた。

NIJIROCKに関わる人達が、各自で「お金をパス」してくれようとしているのだ。

NIJIRCOKのTシャツを販売して、その利益を寄付する、と言ってくれる人が現れたり・・・

スピリチュアルのセッションを提供する人、アート作品を販売する人、ハンドメイド作品を販売する人、なかにはダイレクトにお金を支援してくれる人まで現れた。

まだ細かい数字はわからないけど、現時点でおそらく30万円ぐらいは集まっていると思う。

ぼくが資金調達に向けて動き出す前に、自然発生的に周囲が動き出した。これは常識を超越している。でも、常識を超えた先には、関わる全ての人に最善の結果をもたらしている。

アート作品が売れたことで「自分にはやっぱり力があるんだ」という実感を持ってくれた人もいる。

Tシャツという物販に初めてチャレンジしたことで、かけがえのない経験をした人もいる。ぼくが最初から計画的に資金繰りをしていたら、起こらなかった現象だ。

これからも、常識に囚われずに自分らしい選択をすることで一度きりの人生を味わい尽くしたい。

例えば、ぼくは実は、家族についての在り方も変化させていきたい、と思っている。

今は大阪の自宅兼事務所が住まいの拠点になっているのだけど「もっと自由に、それも単身で暮らしたい」という願いがある。

別に家族が嫌いなわけではない。でも、そこに収まっていることで制限される枠組みもあるのではないか?

仕事は殆どオンラインなので、どこに住んでいようが関係なく働くことは出来る。海外からだって橋爪塾は出来る。

スピリチュアルのセッションを見ていると、ことあるごとに「海外など大きな舞台が活躍の場」というキーワードを聞く。

そういう人生を自分に経験させてあげたい、経験してみたい、と純粋に思う。

もちろん、蔑ろにする、ということではなく。ただただ純粋に自由に生きてみたい。それが周囲に最善の結果をもたらす、と信じて。

そんなことを最近、考えている。

2022.08.09