「その時にしか書けない曲がありますからね」
去年の11月、東京の中野でオンラインライブをした時に、スタジオの副店長・大塚さんが、音響や照明などを担当してくれた。
大塚さんはぼくより若い。
20代と言ってただろうか?
若い頃、世の中に対しての不満や憎しみを「ヴィジュアルバンド」という形で表現していたそうだ。
※ ちなみに、ヴィジュアル系だけあって、大塚さんの操作する照明からは、様々な光がめくるめく煌めいていた
「○歳までに芽が出なかったら辞める」と決めて、結局、ボーカルの活動は引退。
今は、本当に不満があったのか?と思える程、爽やかな笑顔でスタジオの運営をされている。
配信が終わり、帰る準備をしながら、大塚さんは冒頭の言葉をぼくに伝えてくれた。
「弾き語りの活動をしているのなら、自分でも作詞・作曲をした方が良いですよ。その時期にしか書けない曲があるから」
その言葉が心に残っていて、ずっと「創作をしたいな、曲を作りたいな」と思ってもうすぐ一ヶ月。未だに一行も歌詞は書けていない。
その代わりと言ってはなんだが、こうやって昨日からエッセイを書き始めた。
朝、起きて、自炊して、ご飯を食べ、一息ついてから、iPadに向かって文字を打つ。書くことに対して力が湧き始めている。
「作詞」となるとハードルは高く感じるが、自由な形式の「随筆」なら、一定して書けそうな気がしている。
なんと言っても、ぼくは文学部だったのだ!
(・・・本当は教育学部に入りたかったけど、受験に落ちた滑り止めで、文学に大した思いも無く入学。卒業するのに5年もかかり、卒論もやっつけ仕事の始末。ダメダメな学生だった )
今しか書けない感情や状況を、素朴に言葉にしていけたら嬉しい。その書くという日々の行為が、次第に作詞に結びついていくと良いな。
大塚さんはぼくの歌声を聞いて、何かを感じたらしく「推したい」と伝えてくれた。
スタジオで働く中で、きっと色んな歌声を聴いているだろうし、本人も歌の活動をしていた、そんな人から希望のある言葉をもらえて、とっても嬉しくなった。
ぼくは今、37歳。
弾き語りの活動は35歳から始めた。きっと、大塚さんが引退を決意する為に決めた年齢はもっと若いだろう。
自分はどこまで出来るだろうか。無能さに押し潰されそうになる時もある。でも、やれるだけやってみたい。「大塚さん、売れましたよー!」と嬉しい報告をしたい。
大塚さんだけでなく、今まで関わってくれた人、支えてくれている人、両親・・・喜んでもらいたい人は沢山いる。
こんな気持ちは今しか書けない。だから、恥ずかしいけど、「イタい」と思われようが、こうやって残している。