お金が尽きても慌てない

「もしも、橋爪大輔という人間が、まだ世の中に必要なら、見えない存在は彼のことを見捨てたりはしないだろう」

そんなことを思ったので、お金が尽きても、家がなくなっても、人が離れて行っても、仕事がなくても、のんびりと過ごしていた。

必ず何処かに導かれるだろうし、導かれる先は、今の彼にとって必要な現場に違いない。

だから、慌てて動かない。慌てると、それが導かれたものか、無理やりこじつけたものか、判断がわからなくなる。

例えば、冷蔵庫にプリンしかなかったら、そのプリンはとっても貴重だ。でも、プリンもシュークリームもどら焼きもフィナンシェもあったら、プリンは当たり前の存在になってしまう。

だから、空の冷蔵庫に何が入ってくるか、楽しみにワクワクしていた。きっと大丈夫。どうせ死なない。生かされる。そして、準備万端、導かれたら、その現場で一所懸命、エネルギー全開で、自分の能力を差し出して貢献する。

そんな生き方をここ数ヶ月している。すると、本当に生き続けられている。こうして今日も生きている。

ある日は、朝、起きると財布に500円しか入っていなかった。でも、なんの不安もない。見えない存在はきっとどうにかしてくれる。だって、それぐらい毎日、働いているんだもん、ぼく。

すると、その日のうちに現金で10万円がやってきた。こんな日常の連続だ。

今は東大阪(徳庵)のアパートに住んでいる。なんと、無料で滞在させてもらっている。水道も電気も使える。ガスはない。だから、料理はガスコンロ。

お湯が出ないから、銭湯に行くか、あるいは「水シャワー」だ。昨夜、初めてチャレンジしてみた。

・・・あかん!

あかん!
あかん!あかん!

これはあかんやつ!と思った。凍えるほど寒い。死んでしまう。

しかし!

身体を拭いて、少し経つと、まるでサウナに入ったかのように全身がポカポカしてきた。

YouTubeを検索すると、ミスジャパンに選ばれたような若い女性の方も、二年間、水シャワーを実践しているそうだ。彼女も電気水道は使っているが、ガスはないそうだ。

・・・あかんやつじゃないのか。意外と水シャワーいいのかもしれない・・・

人間は情報が入ると途端に安心する。単純なものだ。

そんなんこんなで、大阪での拠点もできたし、あとは毎日毎日、必死に働くのみである。

今日明日は東大阪の社長密着ドキュメンタリーを撮る。明日は東京に日帰りで撮影もする。

ほんと、人生、面白くなってきたなあ。

半年ぶりに橋爪大輔の文章教室を開催しました!

自分の想いを文章にするのが好きです。

以前は「朝、起きたらまずはブログを書く!毎日書く!」みたいに決めて、毎朝のルーチンにしていた時期もありました。

しかし、現在は「書きたい時に書く」というスタイルにしています。そのほうが、その瞬間の熱量を文章に乗せやすいからです。

エネルギーがギュッと凝縮する感じがします。

先日、イベントを開催した後、19時から約束があったのですが、わがままを言って19時30分に変更してもらったことがあります。

そして、その30分で急いでスタバに行って、キーボードをカタカタいわせて文字を打ちました。その30分を逃すと、もう今、この身体の中にあるエネルギーは消えてしまう!そう感じたからです。

それぐらい、文章も「ナマモノ」だとぼくは感じています。

そして、内容は出来る限り限り「心の中で思っているまま」に書くと良い。

遠慮する必要はありません。人の目を気にする必要もありません。どうせ、大抵の人にとって、ぼくたちが書く文章は興味はないからです。

だからこそ、恥ずかしいなあ..と思うことこそさらけ出して書く。本音の本音を書く。

すると、思いがけず、深く突き刺さってくれる人が現れることもあります。

面白いのが、ポジティブに刺さってくれる人もいれば、ネガティブに受け止める人も現れます。

自分の書いた文章が陰にも陽にも反響として現れる。それでこそ「表現者だよな」と思います。

そんなことを今日、橋爪大輔の文章教室でお伝えしました。半年ぶりぐらいの開催でした。とっても楽しかった!

自分は当たり前のようにこうやって書いている文章でも、その書き方や、考え方、こうすればもっと良い内容になる..

・・・みたいに、教室を終えてみて、ぼくがお伝え出来る事は結構、沢山あるんだなあ、という印象です。

また開催出来たら嬉しいなあ!仕事をさせてもらえる、って本当に有難いことだと感じた2時間でした。

感謝!

にじのマルシェの利益に関するポリシーについて

3回目となる【 にじのマルシェ 】を大阪の桃谷で開催しました。足を運んでくれた全ての皆さんに感謝します。ありがとうございました!

今回の収支報告をします。まず、出店料&出演料&マルシェへの応援金で【17,000円】が集まりました。

そして、経費は会場代が10,000円と印刷費が1,000円かかっています。ということで、売上ー経費で利益は【6,000円】になりました。

これを主催者の利益にするのではなく、余剰金として次回のマルシェの運営費に補填します。

少し余剰金が出来たことに伴い、次回、第4回のにじのマルシェは、出店者&出演者、共に参加費は【1,000円】で行きます。

今回、出店者からは2,000円を頂いたので、50%のダウンになります。出店者の負担を少しでも減らしたいから、という理由です。

次回は出店者は6名を募集、出演者は3名を募集しようと思っています。すると、最大で9,000円が集まります。

固定費が11,000円かかるので、足りない2,000円分を今回の余剰金から補填する、という考え方です。

この考え方、つまり、にじのマルシェで運営に集まったお金は【 運営の利益にはしない 】というポリシーでこれからもやっていきます。

この考えに賛同してくれる方は、また来月以降も一緒ににじのマルシェを作り上げてくれたら嬉しいです。

※ この信念でマルシェが拡大すればぼくのVISIONの勝ち、マルシェが縮小すればぼくの負け。そういうゲームをすることが、ぼく「個人」の「楽しみ」になっています。

今年はミュージカルをやります!

去年、周りから「大ちゃんはミュージカルをやると良いよ」と言われたこともあり…

「ミュージカルやりたいなー!まあ、適切なタイミングでやれる現実がやってくるか」と思い、流れが来るのをじっと待っていました。

すると、初めましての方から「10月29日に大阪でお笑いミュージカル古事記の公演があるのですが、出ませんか?」というお誘いを今年の4月にもらいました。

「せっかく出演するなら、出番が多い役が良いな…」と思い、イザナギ役を希望してオーディションを受けたら嬉しいことに合格。

東京藝術大学で大学院作曲専攻を修了し、日本各地で自作のミュージカル公演をされている代表の川村めいこさん。

国立音楽大声楽科卒業で、約30年、テノールオペラ歌手として、舞台活動を積み重ねて来られた半沢健さん。

そのお二人の元で、半沢さんがこれまで演じられていたイザナギ役を、10月29日の大阪公演で務めさせてもらえることになりました。

一気にガチの世界に仲間入りが出来て、むちゃくちゃ嬉しいし、楽しみです。ご縁とお導きに感謝です!

それで、代表から「5月16日に東京の池袋で公演があるから、さっそく歌いにきてよ」と言われたので、今日は公演に少しだけ参加して、作品の中で2曲を歌ってきました(「カミカミフーの歌」「三種の神器」)。

公演を終えて…

ぼくが巡り合った劇団はまるで「甲子園球児」だと思いました。

皆、ピュアで一生懸命。舞台から見えている表だけでなく、楽屋の裏側も知ると、愛おしくなり、むちゃくちゃ感動しました。

※ 写真はスサノオ役の白井良佳さん

上手い下手は関係なくて、有名無名は関係なくて、どれだけ一生懸命か、どれだけ心を合わせるか、どれだけ真っ直ぐなのかが、むちゃくちゃ重要。そこに感動するのですね。思い出させてもらえました。舞台袖で、自分の出番を待ちながらウルウルしていました。

初めて舞台に立ってドキドキしている人、これから突き抜けようと上を目指している人、ずっと劇団を支え続けている人、現役を引退しようと悩んでいる人、演じることがただただ好きな人、終わった後の飲み会が楽しみな人…

劇団って良いなあ、青春でした。

これから10月の公演に向けてイザナギ役の練習を頑張ろう!・・・と思っていましたが、どうやら8月6日に札幌公演もあるらしく、札幌にも出させてもらえることになりました。

なので、まずは8月の札幌に向けて、頂ける役に全力で取り組みます。

争いの時代は終わり
目覚めよう今

ひとつ屋根の下に
皆で手を繋いで

認め合い
許し合い
愛の星に住もう

古事記の神様は、最初はお互いを信じられず、喧嘩をしたり大暴れしたり引き籠もったり、まるで3歳児のよう。でも、その無邪気さ故に、ネガティブな感情も抑圧することなく吐き出してみたら、遂には「あるがまま」の自分を丸ごと認め、許し、愛することが出来るようになり、奇跡が起きるのです。

公演パンフレットより

【 札幌公演 】

2023年8月6日(日)
場所:豊平館
札幌市中央区中島公園1-20

【 大阪公演 】

2023年10月29日(日)
場所:高津宮
大阪市中央区高津1-1-29

身を委ねる旅が始まった?

4月21日に「家を手放そう」と決めて、そのわずか11日後の5月2日には、驚くべき速度で、とんとん拍子に「身一つ」になりました。

「次の引越しが決まるまで、しばらくは三重県に帰るかあ」と思い、ダンボール2箱だけを津市の実家に送りました。

コンビニにダンボールを持っていき、一箱1,750円でヤマト宅急便にお願いしました。それが今回の引越しでした。

郵便局で転居届を出し、区役所で住民票の変更届を出して、10数年暮らした大阪市生野区を後にして、実家へ帰省。

そこから津での生活が始まると思いきや…

「大ちゃん!奈良にこれるー?」というLINEを昨日の14時にもらい、17時には津駅から近鉄特急に乗り、19時には奈良駅に。

なんとなくの感覚ですが、これから「身を委ねる旅」が始まったのでは…と感じているぼくです。

南無阿弥陀仏の「南無」は「お任せする」という意味だそうです。「仏様に自分の身を委ねます」と、完全に「他力」に生きるのが南無阿弥陀仏。

そして、導かれた現場で、その時、自分がやれることを一所懸命にやろう。そんな精神で2023年を過ごしています。

すると、昨日はご紹介でインド人の「クンナさん」と初めてお会いしました。

そのまま、クンナさんがよく利用されている?スナックへ。そこで、クンナさんにぼくのオリジナル曲「魔法」を聞いてもらえました。

また、偶然そこに居合わせたお客さんから「メロディーも歌える?」というリクエストももらい、玉置浩二の「メロディー」も歌うことに。

これは最早「場末のスナックデビューやん」という思ってもみない体験を昨夜しました。

ここから南無阿弥陀仏の旅はどう展開していくのか?あるいは、流れは起きずに収縮するのか?神のみぞ知る、ということで、今日も一日、奈良でめいいっぱい生きようと思います。

面白い人生になってきたなあ…

橋爪事務所を手放しました

大阪市生野区に初めて訪れたのは今から14年前、2009年の冬でした。

ハローワークで「劇団員募集」を見つけて、面接に向かったのが、当時、田島にあった劇団如月舎。

千日前線北巽駅を降りて、工場のオイルの匂いが立ち込める一体の中に、如月舎はあり、そこで汗やホコリや、先輩からの罵声にまみれながら勤めたことが、ぼくの生野区との出会いでした。

4年間、働いた後、2013年に退社して独立。

2014年頃に生野区役所が開催するまちづくりのワークショップにフラッと参加したことがきっかけで、地域の方々と繋がり、まちづくりの活動を始めたり、区役所のまちづくりセンターで働いたりもしました。

仕事を辞めて、何者でもなかったぼくを面白がってくれた方がいて、そこから色々なご縁を頂きました。今なお感謝しています。

その地域活動の流れ(空き家活用)で2017年5月に生まれたのが、自宅兼橋爪事務所です。

それから6年が経ち、2023年5月2日の今日、その今まで住んでいた自宅を地主さんにお返ししました(売買)。

もちろん、ただただ事務所が無くなった、というだけで、今している活動(例えば元石清水八幡宮の御神田プロジェクトや整体の体験会やにじのマルシェなど)は引き続き、しっかりとやっていきます。

橋爪事務所を運営する中で、様々な方々とのご縁も出来たので、寂しくない、といえば嘘になります。

売るのを決めたあとに、お世話になった方々に報告すると「貸す方法もあるのにもったいない」と言われたりもしました。

でも、それ以上に、今まで所有していたもの(ものは少ないほうだと思っていたけど、纏めたら驚くほど多かった)を、このリ・スタートのタイミングで、一度、全て手放すことが出来た。

これから新たな人生に向かって進むにあたり、大きな一歩となる手放しだったと感じています。持ち物はスーツケースとギターケースのみ。無一文&身一つ。

この軽くなったエネルギーで、また一つずつ、自分の力を信じて、色々なことを形にしていきます。

生野区で出会った全てのご縁に感謝しています。これからもぼくらしく頑張ります。

ありがとうございました!