誰か俺を見つけてくれ。
6限目の授業が終わると部活もせず、チャイムが鳴った瞬間、自転車に飛び乗って家に帰る。
母親が仕事から戻ってくる、玄関のドアがガチャっと鳴るまでが、俺の「チャゲアス部」だった。
高校三年間、狂ったように CHAGE and ASKA ばかりを歌っていた。誰の為でもない、ただただ、自分が楽しかった。
歌うのが楽しかった。
高校を卒業する時、普通は大学進学を選ぶのだけれども、勉強に興味はなかった。
「歌だったらやりたい」と思い、音楽の専門学校を選んだ。願書の目標の欄に書いた言葉は、
「日本武道館で歌う」
面接官はその文字を読んでふんと鼻で笑った。
突き抜けろ!
宇津雄一物語

専門学校を卒業して、作曲コースの同期とユニットを結成した。
二人でオリジナル曲を創ってオーディションに送ったら、大きなレコード会社の審査を通過して、会社のプロデュースで五人組のバンドを組むようになった。
会社の上層部に紹介してもらう為に、集客の数で結果を出さないといけない。
歌うことが楽しかったはずなのに、その頃はもう、俺にとって音楽は「苦しい戦い」に変わっていた。
必死にライブをしていた。
殆ど楽しい思い出はない。
結局、バンドは2年足らずで解散した。
二人のユニットに再び戻り、ライブハウスを転々としたが、いつも20人すら集まらなかった。本番が終わり、清算に行くと、店長からダメ出しも受けた。
自分達が作っている曲は「良いもの」と信じているのに。
ライブで集客を増やして行くことに限界を感じていた。相方と意思疎通をしないまま、核心に迫らずに活動はダラダラと伸びていく。
続けるか。
辞めるか。
思い描く未来はどっちだ。

生活はしなければいけない。
バンドだけでは収入にならないので、俺はボイストレーナーの仕事を始め、相方はコンビニで働き始めた。
週6ぐらいで勤めた為、バンド活動も制作活動も殆どしなくなった。
気づけば、オーディション資格の年齢制限「29歳」になる。
レコード会社に曲を送れない。
オーディションを受けられないのなら、もう力のある人に直接、送ってしまおう。
テレビに出ている有名人のファンレターの宛先を調べて、ひたすらデモCDを郵送した。
誰か俺を見つけてくれ。
それから半年が経ち、「結局誰からも反応はなかったな・・・」と思っていた頃に、突如として電話はかかってくる。
読めないから人生は面白い。
.
「鶴瓶です。
CDを聴きました。凄い良かったので、今度のラジオでかけますので聞いてください。」
手が震えた。
これは夢なのだろうか?
三日後。
ニッポン放送の番組が始まった瞬間、ラジオから自分の名前が聴こえた。
「えー、宇津雄一というアーティストがいまして…」
まさか冒頭から俺の話が始まったのだ。
世の中的には誰も知らない俺のことを、鶴瓶さんは10分ぐらい、ずっとしてくれている。
「そいつの曲がええから、かけます」
.
翌週、再び鶴瓶さんから電話がかかってきた。
「お前、凄いぞ、反響が。問い合わせがいっぱいきてるから、とりあえず今ある曲を全部送って来い!」
俺が曲を送るたびに、鶴瓶さんは毎週のようにラジオでかけてくれた。YouTubeで動画をあげればバズる、という状態だ。
今、考えると悪い癖だったが、俺はその時に「もう売れた」と思ってしまった。ニッポン放送で俺の曲がかかり続けている。
あとはどこかしらのレコード会社から「CDを出しましょう」と声がかかる、その話を待つのみだった。
でも、いつまで経っても、状況は変わらずに何も起こらなかった。
送る曲はもうない。
意を決して「お会い出来ませんか」と鶴瓶さんに電話をした。すると「今日は東京にいるから来たら?」と赤坂の料亭に呼んでくれた。
初めての対面だった。
「最近、曲を送ってこないけど、どうしたんや?」
「相方が忙しくて、新曲が全然出来ないんですよね」
そんな俺に鶴瓶さんはピシャリと言う。
「いや、わからへんな、その話は。ほんまに音楽で食べていきたい奴の発言やとは思えへん。
相方は曲をかけないし、ぼくは詞しか書けない。その『出来ません』は、俺には理解できひん。
ほんまに音楽で食っていきたいんやったら『曲が出来ない』と違って、頑張って作ると思うで。
その気持ちがない奴は、到底、売れへんのとちゃうか?」
恥ずかしくなった。
相方のせいにしていた自分に気が付いた。
家に帰り、一心不乱に曲を作り始めた。もちろん、作詞作曲なんてしたことはない。
ラジオの収録が木曜日だったので、水曜日までに届くように、とにかく毎週二曲ずつ「新曲作りました」「新曲作りました」と送り続けた。
突き抜けろ。
8週間が経った頃に、鶴瓶さんから「わかったから勘弁してくれ」と電話がかかってきた。
「お前、関西までギター持って歌いにこいや」

鶴瓶さんが淡路島で開催したイベントに呼ばれた後、打ち上げのバーベキューで言われた。
「俺は知り合いを伝って、お前をデビューさせることが出来るかもしれへん。
でもな、こうやってご縁が出来てるんやし、頑張ってお前が一人で上がって来い。俺はお前を良いと思ってるから。お前は出来るから。
上がってきたらいくらでも宣伝してやるから、頑張って這い上がって来い」
俺はどこかで「鶴瓶さんが何かをしてくれるんじゃないか?」と思っていたから、その甘えをバシッと断ち切ってくれたように感じた。
そこからまた10年。
奥さんと知り合い、就職も経験して、結婚もした。
今はフリーのボイストレーナーとして好きな時にレッスンをして、アーティストに楽曲提供もするようになり、YouTuberとしても楽しく活動している。
・・・
「俺はお前を良いと思っている」
「一人で這い上がって来い」
10数年前に約束した言葉は、今も忘れずに覚えている。

想像通り行かなくて
妄想ばっか繰り返して
到底、俺じゃ無理だって
後悔ばっか並べたって
思い描く未来はどっちだ
さあ今、突き抜けろ
突き抜けろ!宇津雄一物語
取材と文章:橋爪大輔
2022年06月30日 発行
おかげさまで目標金額に達成しました!ご支援 & 応援、ありがとうございました!
達成金額:566,221円
こんにちは、橋爪大輔と言います!
ぼくは二年前の2020年からギターの弾き語りを始め、そんなぼくに「貴方と会わせたい人がいる」と紹介されたのが宇津雄一さん(現在は才雅として活動)でした。
才雅さんにはこれまでオリジナル曲『光』や『魔法』の楽曲を提供してもらったり、ライブのイベントに出演してもらったり、仲良く交流をさせてもらっています。
そんな才雅さんの「人生の物語」の一人のファンであるぼくは、思い描く未来として「才雅さんに武道館に立ってもらいたい」と願っています。
高校を卒業する時に「日本武道館に立つ」と書いた夢が現実になれば、それは才雅さんだけでなく、
一度は夢を諦めてしまった全ての人へのエールになる。
そんなことを本気で信じています。
ぼく自身、もちろん、これからも音楽家として努力をし続けて、武道館に立てるような人間になろう。
才雅さんと一緒に夢のステージに立てたら嬉しい。そんな想いを持って、活動をし続けていきます。

今、ぼくは才雅さんのオリジナル曲『突き抜けろ!』のレコーディングを企画しています。
才雅さんにバンド演奏でレコーディングを経験してもらうことで「突き抜けろ!」というパワーを、才雅さん自身が改めて体感してもらえたら嬉しい。
そのパワーをレコーディングにこめることで、音楽を通して突破していくエネルギーを皆さんと循環出来たら嬉しい。
レコーディングは7月11日に東京で行います。
演奏者に支払う費用
合計90,000円
スタジオ代
120,000円
エンジニアに支払う費用
150,000円
アレンジ料
70,000円
プロデュース料
80,000円
橋爪大輔・交通費&宿泊費
44,000円
クラウドファンディング窓口業務
10,000円
合計564,000円が今回、予算としてかかります。
その資金の支援をお願いしたい、というのが今回の趣旨です。
才雅さんの物語の次の一歩を一緒に応援してもらえませんか?その先に日本武道館に立つ未来を一緒に願い続けませんか?
支援は【 何円から 】でも大丈夫です。
ぜひ応援をよろしくお願いします!
リターン
【 1万円 】以上の支援
(1)音源
才雅さんのオリジナル曲『突き抜けろ!』(演奏:才雅)と『魔法』(演奏:橋爪大輔)のレコーディング音源をデータで贈呈
【 3万円 】以上の支援
(1)アフタートーク
レコーディング後に、後日、zoomで行う『アフタートーク』にご招待(リアルタイムで参加出来なくてもアーカイブを共有します)
※ 開催日は後日決定します
(2)音源
才雅さんのオリジナル曲『突き抜けろ!』(演奏:才雅)と『魔法』(演奏:橋爪大輔)のレコーディング音源をデータで贈呈
【 5万円 】以上の支援
(1)見学
東京都内で07月11日に行うレコーディング見学にご招待(限定5名様)
(2)アフタートーク
レコーディング後に、後日、zoomで行う『アフタートーク』にご招待(リアルタイムで参加出来なくてもアーカイブを共有します)
※ 開催日は後日決定します
(3)音源
才雅さんのオリジナル曲『突き抜けろ!』(演奏:才雅)と『魔法』(演奏:橋爪大輔)のレコーディング音源をデータで贈呈
【 10万円 】の支援
スポンサー様募集
才雅さん推しの貴方!今が宇津雄一を推す絶好のチャンスです!
ぜひスポンサー様になってもらえませんか!?橋爪大輔が事あるごとに感謝を表し続けます。
どうぞよろしくお願いします!